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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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リネン日記
平の時代
2013年01月13日
林与の最近のシリーズは、平織を多用しています。昔はドビーのものが多かったのですが、青の時代ならぬ、平の時代を乗り越えないとなあと40になって思ったのです。平のものというのは一般に流れすぎているので織物で差を出すことが難しいのですが、それを織でどう魅せるかというところ大事に思うのです。

アパレル向けのリネン糸というのも、60,40,25あたりが基本で、それで今までにないリネンのシリーズを生み出すと言うのは、その用途から考えていかねばならない課題でした。HDシリーズに代表される高密度の世界が昔の良い織物に通ずるひとつの展開でした。

実は、HDシリーズの開発に今まで取り組まなかったのにも理由が有ったりします。それはコンセプト的には駄目な部分も見えているのです。どこまでも厚いものを織るとか、どこまでも薄いものを織るとかいうのは、周りがみえないのと同じものづくりなのです。織物づくりには、打ち込みなんかもこんなくらいが風合いがよいとか生機を触って、規格に頼らず打ち込みを加減できることが料理人ならぬ、さじ加減できるプロの味の出し方ではないかと言えるのです。

料理人がどこまでも塩辛いラーメンを自慢げにしたところで、品がなさ過ぎるのですが、織物と言うのはどこまでも塩辛くできない要素があったので救われているのではないかと思います。また、あるひとつの基準を設けたがためにそれ以上はやっては駄目という厚さに限度も見えているのです。それはそれでひとつのバランスポイントが見えてきたのです。

音楽で無音の音楽がありますが、織物の世界では薄さに関しては、「裸の王様」の布の世界が、一番軽い布ということになりましょう。展示会で、まったく透明な布を作ったと言って、それをやっては駄目というのは、昔話の笑い話と同じにすぎず、子供が見て本質が分かるのに、本質の見えない芸術家の類になります。マチスの線画のように、縦横一本で作る布というのも同様のあたりでしょう。技法に凝るということは本質が見えなくなるものです。

布の本質とは何かと考えるときに、それは風合いという要素が大事ではないかと思うのです。人に心地よい風合い感というものがあってその範囲に収まっていることが良い布の目安であるというのは救いです。