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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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リネン日記
ウワチ屋敷
2013年02月22日
日本語の成り立ちをみていますと大らかさを感じます。ハタという言葉もバタバタと音がするところから、ハタという日本語が、秦の文字に当てられたのではないかと思います。機、旗、幡、波多、羽田など同じ言葉にいろいろな漢字を当てたり派生して使われていたあたりも、今とは違う、口で伝える言葉の文化があったのだろうといえます。

ものを書く文化ではなかったので、口頭での言い伝えで、本来の言葉も濁りながら意味も曖昧になりながら伝えられたものと思います。たとえば、私の身の回りの例ですが、倉庫のひとつがあるのがウワチ屋敷と呼ばれる場所なのですが、私自身、その場所にウハチという人が住んでいたからウワチ屋敷だとは思っていませんでした。ウワチというのは、ヤマタの大蛇みたいなもので、それが住んでいるイメージでウワチ屋敷だと思っていたので、歴史をたどったりすることがなければ、名称は引き継がれても本来の意味すらも分からないものです。今も、ウメ、お茶、柿の木が植えてあり、倉庫が建つ前は、それらがもっとたくさん植わっていて、動物の潜む小さな雑草林みたいな場所だと勘違いしていました。

遠い親戚にあたるウハチさんが誰なのかもしらない状態でも、ウワチ屋敷という言葉だけは、建物の場所を指すのに頻繁に使う言葉です。また、ウハチでなく、ウワチと変わったのも面白いところです。昔というのは、人々が家に篭ることも少なく、集落が丸ごと運命共同体のような存在であったであろうから、そういう口頭での伝承も数代に渡り語り継がれていったものと思います。

ここからは大らかさとは別の話ですが、ヤマタノオロチの神話に関しても、ある地域で稲作が始まって稲作の技術を縄文人に提供した弥生人である渡来8人が1年に一回年貢を納めさせるために山から降りてきたという感じではなかろうかと思います。なまはげと似ている伝説と似ている管理形態ではなかったかと思うのです。技術をもつ渡来人が自ら水田をつくることはなく、作らせた形こそが自然な考え方ではなかったろうかと思います。ヤマタのオロチの尻尾から刀が出てきたというのも、一人が実は日本の出雲の刀をもっていたということじゃないでしょうか。出雲の国、人里離れた場所である山に住むということからも渡来人の徐福一行の末裔の鉄工職人の影がちらつきます。