2013年03月25日
昨日、倉庫の一つでたぶんリネンだと思われる200番手超クラスの織物を発見しました。150番手、160番手あたりかもしれませんが、今のアイリッシュリネンプロジェクトの140番手をかなり超えているような繊細さです。
着物の時代から洋服の時代に移り変わったときに、一番良い物を作ろうとして手がけたあたりのものだろうと思います。糸の形状をみるとラミーではなくリネンっぽく、ビンテージな雰囲気が漂う反物たちです。
こういう昔の良いものというのは白く晒した平の織物であっても、着物の世界の名残で、日本でもほとんど織られることのなかった特別のクラス、本当に優雅でないとならない歌舞かないとならないような方のために取っておこうと思います。他にも、80番手X100番手で織り上げたアイリッシュリネンの反物も40反ほどP下状態で見つけて、糸からして光っていてしなやかで麻らしい、40年ほど前にはこんなものでも簡単にものづくりやっていたのだなあと思います。近江には最高峰の麻織の文化が宿っていたというのを実感するのです。
20から30種類くらいの白く晒したP下状態のビンテージな40年から50年ほど前のリネンの反物を全部で百反以上あるでしょう。白い反物にはあまり興味がなかったのですが、色を染めたりするときっと最高峰のリネン織物たちになるだろうと思います。日本のリネン織物文化の過去の世界、PTJなどでは、非売的な参考展示としてご覧いただくような形ででもご覧いただければ日本のリネン織物文化の役に立つのではなかろうかと思います。しかし、着物の世界からアパレル向けのリネンを織りはじめた当初に当時の世界屈指であろうクラスに挑戦をしていたというのもほんとうに面白い話。たぶん当時も円が360円で糸代からして高いものになり過ぎてあんまり売れなかったんでしょうが、作り手としての価値が詰まったものなので、今の時代まで残っているのだろうと思います。林与の家の中で作ったものではありますが、そんなのも日本の麻織物のモノづくりの一片です。
私自身、日本の製鉄に関する文化を最近まで調べたことがなかったので、昔の筬というのは、木か竹の筬だろうと思っていたのですが、日本に織物が伝来したのと同じくらい鉄の歴史も古く、木刀のようなもので糸を打ち込んでいたあと、比較的早い時期に鉄の筬というものも日本で使われ始めていたのではなかろうかと思ったりもするのです。