2013年08月25日
今日は雨が降って涼しい一日、夏も終わったかと思うほどですが、空気に秋の透明感がないので、まだ6月の雨の日のような気配。今年の夏は特に暑いといわれ、野菜なんかも水不足で高値。
今日は工場で機械の修理。どうしてなんだろう、シャトルのステッキの羽根のネジの頭が取れている。仕方がないので、他の織機から部品と取ってきての応急処置。うまく行かないので、ステッキも移すと調子よく動く。
ネジを締める緩めるの力加減などができるできないでは同じ仕事をしても大きな差になってくる。今日も字の寄りで、今の子はマッチのすり方も知らないという話だが、それは、その子供の問題ではなく、オール電化な社会の歪。物を燃やすことのすべてが害悪のように禁止されてしまうと。いざ、災害というときにも自分で生きていく力すらも備えていないということになる。社会もあんまり傾き過ぎないようにしないと駄目だろう。
昔はどこの家でも風呂を炊いていたが、それが火災の要因になったことはあっただろうけど、火の元の管理という面では、当時の人の能力は高かったといえる。お風呂に入るのも蛇口からお湯が出ることなく、自分で家の中で火をくべて炊かないとならない。そんな生活こそ、トータルで大きくエネルギーを節約していた時代ではないだろうか。電気なんて個々が節約しようが、発電所が、原子炉を火力を炊き続けている限り、何のエネルギーの節約にもならない。
それぞれの家がお風呂を炊いていたことが、雨をもたらす原因となったと思う。小さな粉塵が空に舞うことで雨の核となって、雨が降ることを引き起こす。人の生活が、自然に雨をもたらして、発生した熱を冷ます働きをする。神社の祭りなんかでも、火を炊いたりすると雨をもたらすというのが経験的な法則。木などをくべて火を炊くことにより、水蒸気を含んだ上昇気流を引き起こさせ、舞い上がった熱が冷まされたときに、雨となって降り注ぐ。自然の力を使った祈りの儀式である。
こんなに暑い夏なのに雨が降るのが珍しいというのも、電気に依存する生活になってしまっているからだろう。水の循環がないことは、地球温暖化の大きな原因となる。地表に関しても雑草ででも覆われていることこそが地球温暖化を防ぐ手立てとなる。雑草が生えるということにすらも、地球環境を一定に保とうとするような要因がある。わざわざ植樹して綺麗にみせたいのは分かるが、地球環境を守ろうとするときに雑草でも十分じゃあないのかと思う。そういう雑草の下に新たな生命が育まれるのである。グリーン化してもあらたな生命というのはいやだというエゴ的な緑化だと歪が生じ、トータルな意味で生態系が保護されることはないだろう。それが人に降りかかってくる。補完的に生えてくる雑草などの存在の意味も見つめる必要があるのではなかろうか。