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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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リネン日記
麻糸の如し
2013年10月06日
麻を扱うことは、今はリネンが主流になって来ましたので、比較的簡単になってきましたが、昨日はリネンの細番手を繋いで送る作業で、まさに麻糸の如し、です。普通の人だと絶対に無理だとあきらめるようなものでも、端から一本一本直してあげるだけで、たぶん、全体で、100本も直せばよい程度です。

直すときに綺麗に治せる人と余計にぐちゃぐちゃにしてしまう人とでは、織るときの結果に雲泥の差が出るものです。すべて正しい作業を心がけないと正しい状態は続かず、いい加減な仕事だと、その人にとってはそれが意味不明の問題の原因に繋がっているものです。

職業としてする以上、織物というものは織れて当たり前でないとならないのですが、簡単な織物でも手抜きがあると問題として出てきてしまいます。機械が悪いわけでなく、人の問題だろうといえます。正しい織物を作り上げるためには自分の作業の確認だけでなく、他の人の使った織機の状態の確認作業という自分以外の人の作業までも正しくしないとならない、機械だけでなく、人の作業の改善、また、人の仕事に対する考え方の改善が必要なことが多いものです。

正しく織るのに正しい答えを教えてもそれを実行ができるか出来ないかというのは、頭で理解できても作業するのを拒否してしまうことが多いものです。自分のやり方を貫こうとする人は途中で止まってしまうもの。どのやり方でもいわれたとおり素直に対応できて実行できる人が仕事できる人だったりします。

以前、独立された方とお話をしていて、人は自分の思うようには動いてくれないものというのを割り切って居られました。経験上の結論だろうと思います。普通は良い物をつくろうとすると思い通りに動かんと駄目なのですが、できることでも人の問題でできないということも多いものです。まずは自分がやって手本として仕事として当たり前のことだというのを見せてあげる必要があります。

林与と工場でお出会いのお客様というのは、他では見かけないほど林与がボロボロな格好しているのみて、大きく二通りの反応があろうかと思います。いつでも機械の下にもぐったり油仕事できるようにしているとみるのか、もうちょっと綺麗な格好で仕事しなさい、という反応なのか。林与自身が職人に求めるのはいつでも自分が汚れる仕事を出来る人。自分の手を汚して麻埃を取ったり油をふき取ったり、綺麗な布を作るためには必要な仕事です。

麻織物の作業にとって機械化されていても、機械相手でも、目、手、耳、鼻、口など自分の体は、一番の道具。目は糸を通すのに必要、キズを発見するのに必要。手は糸を感じたり、部品のキズなどの問題を判断するのに必要。耳は、織機の問題を聞き分けたり、ブレーキの調子を音で判断したりするのに必要。口は、レピアヘッドの糸屑などを吹いて取り除くのに必要。