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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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リネン日記
六「花鳥風月」展
2014年04月27日
近鉄奈良駅より徒歩15分の五風舎にて、梅崎由紀子氏ほか稲葉氏(木工)、大島氏(陶磁)の3氏による合同展が行われています。本日が最終日、夕方5時までとなりますが、お時間あられます皆様、足をお運び下さい。

会社の中では3月から4月中に納品予定でうごいていた反物があったのですが、別案件の短いものを挟んだので、織りきれなくてゴールデウィーク明けになりそう。織物の仕事も、小ロット短納期の対応ばかりだとマイナスばかりになるので、自社でリスクして仕事をまとめて自分自身で利益を上げていくようなことが必要。

エコという概念からしても、10の力を費やして1のものを生み出す形の繰り返しで10回生産するみたいなのは、理想的ではなく。ジャストインタイム的な在庫はゴミという発想自体を早く捨てないと、ほんとうのものを大事にするエコ社会の実現は難しいと思います。次々と新しい商品が出て1年前のモデルがゴミとなるようなのはいかがなものか。まだまだ、綺麗で走る車が、中古で年代が古いというだけで、ただ同然ところか、リサイクル料までとられてしまう国というのは日本くらいだろうと思うのです。

エコの概念は、ものを大事にするという概念ですが、ものを大事にするということは、そのものをつくった人のことを大事にすることに繋がります。日本は今はどちらかというと撚り無機質なお金を大事にする思想に向かってしまっています。たとえば、原発も本来はエコだからといいながらエコじゃないことがわかっても、儲かるからというエコとはまったく逆の本性が露呈してしまっては、最初のきれいごとはなんだったのということになります。エコという本来は人の心の豊かさで成り立つものが、餌にされてしまっているのが日本のエコの形。

テレビなんかでも使えるテレビがすべてゴミというのも、小さな個人の努力のエコを国の無機質なエコ意識が踏み潰すようなものだろうと思います。地デジ需要が、何十年も行ってきた国内でのテレビの生産の終焉だといわれています。一時の欲に駆られると、すべて培ってきたものを続けることすらできなくなる典型ではないでしょうか。地デジ化しても海外のように何十チャンネルものテレビ番組が流れるようなこともないなら昔のままでもよかったんじゃあないかと大きなもったいないを感じます。たとえば、結婚の時に買ったテレビなんかも捨てられずに思い出として使わなくてもしまっておいた方も多かったけども、地デジ化で、強制リサイクルされてしまった方も多いんじゃあないでしょうか。