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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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リネン日記
眩しさ
2014年05月11日
早朝に車で農道を走ると太陽が眩しい。空気がいい感じ、滋賀の田舎なんて戦後の人世代が終わろうとしている今、集落は過疎化が進み、昭和40年代の子供の頃とさほど変わらない町並みが残っている。

もう、スズメなんかは少なくなってしまったが、たまたま今日はキジバトが物干し竿の上に止まっていた。食べるものを見つけることも難しい環境の中で、野生の生物は生き残ってほしいものだと思う。野生の鳥を見るだけで新鮮な気分になれるというのも日本の今の現状だろう。鳥だけじゃなく人も同じだろうと思うところがあって、野生の鳥みたいな人が少ない。

高圧の電気料金が2割ほど上がる。形上は自由契約の同意にもとづくものらしいが、契約を受け入れないと電気をとめますよという主旨のもので、独占というのはやはり殿様商売をもたらしやすいだ。原発に傾倒した電力会社も電力行政も失敗しても尻拭いもその利用者というのは理解ができないがそういう体質が結局は、一番怖いのが、放射能漏れを隠匿し何百万人の国民の生命すらも危機に脅かすこともへちゃらなのに繋がる。子供たちが、事故直後の高濃度に汚染したものを食べるのを少しでも防げたのに、2次被害まで生み出してどうするのか。チェルノブイリ未満かもしれない。2割上がるのがいやだというのではなく、原発をやめて、原発行政のどうしようもなさがなくなるなら、天下り保安院なんの役にもたたないのを廃止して経営努力し、それでも苦しいというなら、2割、3割上がってもよい。それが出来ないで殿様商売がつづく公共性もかんがみ国有化も必要だろうが、国有化されるとさらに殿様になるだけだろう。

原発も運用している人の精神が正しければ事故後の被害でも最小限に食い止められる。でも、一人の人間が野鳥のように存在することが難しい日本、普通の精神が正しく働くことは難しいものだ。今回の事故でも人の命の危険よりも損得が優先したのが事実。原発行政のなかでも、甲状腺ガンでなくなった福島原発の当時の所長は考え方発言一つにしても内部でも、上部のだらしないのと戦っているのが見え立派だったと思えた。石棺化で犠牲になるのも辞さない覚悟を感じたが、その人がいなくなった後、同じ覚悟のものがほかに残っているのか。今の原発行政では、そういう人間は邪魔者でしかないだろう。