2014年07月06日
雨が降って蒸し暑い一日、太陽が照らさないのに気温は高い。雨に少し打たれているくらいが暑ぼったくなっている肌の表面を冷却し丁度よい。先日、大手のハンバーガーショップで、100円のハンバーガーを2個とコーヒーを注文。気になったのは環境への取り組みというプレートの上にしかれ紙の中の説明の一つに、夏の店内冷房は28度までということ、店内は非常に涼しく、明らかに25度未満だろうと思うのだが、こういうのも許容範囲なのがその世界。
先進国の食品というものが途上国の規制未満に落ちてしまっているのではないかと思うのが、中国で昨年春頃、鳥インフルが流行して中国国内の売り場から一切鶏肉がなくなったときに、中国から輸入された鶏肉がキャンペーンをうってまで日本国内では流通されたこと。日本国内でも中国鶏肉の残留成長ホルモン問題など話題になって、そのあと、中国産鶏肉を使用しているという表記から、即座に、中国とタイから鶏肉を仕入れているという原産国表記に変わったり。
これは狂牛病問題や日本の原発などへの対応をみてもよくわかる。狂牛病でも国内の畜牛農家には全牛検査を強いて締め付けながら、海外から入ってくる牛肉は行政と業者の癒着もあるのだろう、確立は低いから安全だという程度の根拠で入ってくる。大手牛チェーンも狂牛病問題当初は専用牧場で飼育した牛を使っているので安心というようなポスターを作ってその場を凌いで、数年後には使っているのはアメリカで流通しているものという話しに摩り替わった。国民の安全のためでもなく、締め付ける力だけが弱者である畜牛農家にはかかってしまい、大手には力はかからない。なにが正しいではなく力関係だけの話。
原発もそうだが、福島の所長が甲状腺癌で数年のうちになくなっても、原発の爆発とは無関係という結論も東電の原発被害に対する対応意識そのものだが、所長が炉心融解はなく放射能漏れはないというのを信じていつものような感じで現場確認などして1000倍の影響があるといわれる体内被曝したと考えれば十分ありうる発癌で、放射能の怖さを改めて感じた。小学生などでも甲状腺に悪性の腫瘍が多く見つかり始めている、国が力関係でデータなどを隠し握りつぶすと、水俣病、アスベスト、ミドリ十字といういつものパターンで死んだものが馬鹿という流れ、専門家たちによる取り返しのつかない殺人なのだ。保身や損得で判断せずに、良心をもって専門家たちは判断してほしいが、それが一番難しい問題なのだろう。20年後には正しいとされることの反対が今は正しいとされるということよくあって、欲に満ちた判断が、多くの人を病気や死に追いやったりしているが罪悪感すらもないところが怖い。
原発なんかも人が死ぬということを正面からとらえて安全なんて謳う馬鹿は止めて、危険を謳いながら推進するのが本来はバランスのとれた推進なのだが、国が欲に満ちた専門家を抱えてやっちゃうと子供騙しな口からでまかせでも話は進む。放射能漏れなんかも地下から漏れ出したからよかったものの漏れ出さなかったらチェルノブイリと同様石棺化が必要となったであろう。専門家というのは利害関係が絡んで保身に走るという定理を前提に議論しないと駄目なくらい、素人ほうが正しい判断をすることのほうが多い。誰が見てもメルトダウンに感じる爆発も専門家には水素爆発という、国民の命に関わる一番のときにですら、保身が出るものだ。政府が爆発後の放射能拡散データを半年以上も隠匿してしまった事実も多くの国民が死ぬことよりも自分たちの保身が優先されるという怖さそのものである。
JR西脱線でも鉄道の専門家は一応に、130kmでも脱線することはないということばかり言って本質的な問題から逃げてしまっていた。実際に問題が起こったときにでも、真実を見据えられないのが専門家だったりするものだ。いつまで専門家委員会なんてもの立ち上げて政治家も責任逃ればかりするのだろう。そこが最初から気持ちの悪いところで、まともに考えている国民なんかの期待を最初から裏切っているのに気が付かないと。
一番電力を使う東京や大阪に原発をつくればよいということを考えもせず誰も言わないのは、原発の危険性や、嘘で塗り固められているということを本能的に感じているからだろう。田舎に持っていくのはどこのだれかもわからない人たちのことは気にしていないものだったりする。日本中が自分の町に原発がくるのを容認できるかできないかという判断をもって、原発推進するかどうかという気持ちにならなければ、便利さは自分のこと、危険はほかの人のことという意識での安全性や推進でしかない。
ごちゃごちゃと書いてしまっていてお前は何が言いたいのだということをおっしゃられると思うが、私自身も麻や織物の専門家の一人、いろんな問題を他山の石とし自分のものづくりには生かしたい。