2014年08月22日
今日は午前中はお客様、午後からはプリントの件での電話での打ち合わせなど。ここ数日に関しては夏風邪気味であまり体調がよくないが、いろいろな案件が動いているので、織機も立ち上げ、調子が悪いと見る必要がある。織物というのは織るのが仕事かというと、実際に織るという仕事は手織りではないので切れた糸を繋ぎなおすという作業だけのこと。非常に初歩的な繰り返し。代わりに、問題なく織れる様に織機を調整するというところが織物でも大事な部分になってくる。
他にも糸の管理なども重要な部分で、糸を準備したり糸を管理したり、そういうのが正しく出来ないと、糸があるのに見つからなかったり、目の前にある糸がなんの糸だか判らなくなったり、ロットの違う糸を混ぜてしまったり、織物をするのには相当記憶力が必要で、自分のやった仕事を思い出せる人でないと頼りにならず織物の仕事は難しいなあと思える。
愛荘町の広報が届いて目を通すとまちじゅうミュージアムという構想がある。シャッター通りの商店街に活気、すなわち人を呼び戻そうとする試み。一旦、廃れてしまったものを元に戻すことは難しい、麻織物というのも消えて行く流れの中にあるのでそう思う。小さな200軒ほどの集落で、昔から麻織物を織っていても、集落の人でも同級生でもなければ、私が何の仕事をしているか知らない人も多いが、それは当たり前のことだろうと思える。ひっそりとでも地道に続けている、それが、現実的な仕事を続けて行くという意味だと思う。田舎で地味な仕事しながらも、世界中に自分の布の世界をPRするみたいな華があってもいいんじゃあないかと。
近くのお菓子屋さんの息子さんにしても、たまにクロネコで合うけど、百貨店向けに商品を卸して仕事を確保するなど、行き詰った境遇を自分で切り開いて行っているのは自分だけじゃなく、私よりも若い子がそういうのこなしているのみて、自分もがんばらんとなあと思う。恐れるべき相手は年配の人たちではなく若い人たちであろうと思うと同時に、そういう次の人たちに担ってもらうよう力を注いでいかないと産業の衰退や過疎化は進むだろう。
仕事なんかでもやっていることを否定するのではなく、自分の思うようにとことんまで一つ一つ実際にやってみろみたいなところが大事で、昔のしきたりやしがらみにとらわれたりしてたら、残せるものも残らない。私自身にしても、先代までは糸商からの糸の仕入れ、販売は問屋さんという、昔ながらの形だったが、今までのルートも残しながら、自分自身で糸を紡績工場から仕入れて自分で個人の方、お店やアパレルさんに販売して行くという形に変えて、おかげさまで目の前のしないとならない仕事は一杯という状況。
織物を織るだけに終わらずに製品まで手がけるのも大事なことで、最終製品をつくるときの工程やイメージなどもっていないとものづくり、断片的な加工業に終わり、何が問題なのか、どういうものが必要なのかもわからないことも多い。やることが一杯であふれていると自分自身のなかで過疎化とか産業の衰退なんてのも重要じゃあなくなってくる。何事でも、動こうとしない人を動かそうとするのは邪魔するような力が働くことが多い、自分が動いて自分の世界を作り上げるのが大事だろう。