2015年04月25日
仕事をするために人が集まると人を管理しないといけないという問題がいつも起こる。すべての人の目的が一つなら簡単なのだが、組織の中で違う目的をもった人が集まるとうまくいかないことが多いものだ。
近江商人が成功をなした理由の一つに、天秤棒を担いでの姿があるけども、それとは別に、近江商人が都に持つ家に奉公に行くという形がある。長男は家を守り、(家というのはすなわち先祖代々の仏壇であり、先祖から引き継ぐ屋敷と田畑のことであろうと思う)、次男、三男は、奉公に出て家を守るみたいな風潮があった。次男、三男が奉公の末に店を持つことを許され成功を納め、その成功は母屋を支えるためにあったといえる。
これは、日本で一番神仏信仰が強いといわれるほどであるところから来ている部分もあろうといえる。小さな村にも大きなお寺がいくつもあって、律令制度や藩の搾取から逃れ、お寺に守られていた部分があったろうと思える。母屋にはそれなりに大きな資本が集まり、親戚一同から支えられながら逆に親戚を助ける機能をもっていた。
盆と正月が大事だったのも、奉公という日頃は自由が許されない時代に、唯一実家に帰ることがゆるされたのが盆と正月だったからである。戦後にも奉公が盛んに行われた、終戦を迎えて外地から引き上げてきたものたちは居場所がなく、住む所と食事を与えられて仕事にいそしんだ。
外で無欲に働ける人が自分の商売を考えたときに、立派に商売を残されたり、立派な家をもたれたりしているのは当たり間のことだろうといえる。日本の商売というものが損得勘定では成り立たず、人のつながりで成り立つといわれる。日本の教育がほかと違ったのは自己犠牲の精神(奉公の精神)があったからといえるが、それが日本の成功に大きく繋がっていた。
奉公的な出世においては質素倹約の精神というものが、すべてにおいて流れているので、成功というのはその積み重ねでしかなく、実際の仕事も商いのすべてを教育されていて、人が人として一人で立つことが理想とされた。今の時代でもその精神で仕事をすれば最終的には成功を納めることは難しくはないであろうが、商売を成り立たせるためには欲を捨てることの積み重ねという逆の道が必要というあたり、日本の国の制度からしても今の時代には難しいものであり、成功したいなら制度の逆をいかんと駄目なのだが、普通はどうこうという講釈が先に立つ人がいくらアイデアを持っていてもそれが実現することは少ないだろうと思える。
仕事というのはお金を稼ぐことが目的と思われるが、その範疇では商売の考え方が普通すぎて、チャンスを逃すことが多いだろうなと思え、商売のチャンスのためには自分がお金を使うという逆の発想ができないと商売の基本すらも持ちえていないというあたりに止まる。失敗なんかは若いうちにやったほうが良いだろうし、若いときに経験の少ない人というのは末路は厳しいものだ。失敗や責任を自分で被る力のある人ってそうは少ないもので、そういう人が結局実力を持っていて仕事を動かしているということだろう。