2015年04月27日
仕事というのはどこもが似ている。突き詰めていけば、遊んでいると思われている仕事の前の学生のほうが試験など自分の実力を鑑みさせられ地獄をみることが多い。昔は大学が遊園地といわれたが、今は職場が遊園地化している気もすることもある。
私も繊維の仕事をしていて、学生以上に楽だなあと思うのは紙に書いておけば覚えなくてもよいこと。学生の場合、試験会場に教科書やノートを持ち込むことはできないが、一般的な仕事ではそれが許されるのだ。
しかしながら、優劣というのはハッキリとしていて、生地をみて、そのつくり方がすべてわかる人というのはやはり強い。結局、学生の勉強と同じようなことができる必要があるのだろうと思う。織機の問題なんかも同じで、経験が生きる人と生きない人の差は大きい。最初の一回で覚えて、次には自分でできる人でないと厳しい。最初の一回で覚えない人はいつまで経っても仕事を覚えられないものだ。
すべての仕事というのは共通した要素が7割8割あると思えることが多い。その7割、8割の部分というのは地道なところじゃないかと思える。そのほかの2割3割が飛びつき的、あるいは冒険的な要素。私自身、仕事でいろいろな物事に挑戦するということはとびつき的な要素や博打的な要素が大きいが、そのほかの部分でそれを補える仕事を当たり前にしているから成り立つのだろうと思う。
また、なかなか、地道な要素を積み重ねても日の目をみないというのも世の中の性であろう。林与の特徴はと聞かれて、産地で自分自身が織物を織り続けているというところなのだが、それには深い意味があって、そこが一番大事なことであると理解してもらえることは少ないのだ。自分で仕事を生み出すとか、つくるものに対してのリスクを被って仕事をしているという部分に繋がろうと思う。
やっていることは同じでも、2割くらいの力で飛びつき的な要素を交えることで、飛びつき的な部分にあこがれられることの多いお客さんとの出会いは増える。最終的なお客さんがというよりも、業として生地を扱われるお客さんが飛びつき的な要素重視だったりするものだ。売るためには、ものがというよりも謳いが重視されるのだろうが、それ以上に産地で麻を織り続けている機屋なのだから本質的な部分を大事にする部分が7割8割なところ。