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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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リネン日記
沈没事故
2015年11月12日
今、日本は東京を中心に2020年に向けて好景気の様相になりつつあるが、そのバブルが崩壊した後の準備も必要で、オリンピック後の数年でその蓄積は解けてしまうだろう。海外での沈没船事故で船長が逃げ出した件の裁判があったけど、日本の年金問題というのはまさに沈みかけている船そのもので、最初の自分の老後に備える任意でスターといたものが、いわば船長のいい加減さで成り立たなくなり強制的なものに変わり、今は、その犠牲も生まれてくる世代に背負わせても成り立たないほど。

人々の善意を募る寄付なんかでも、まともな寄付がどれほどあるのかと思えるほどに、その運営というものは強欲なことが多く、運営が存続するために寄付があるみたいなところ。サッカーくじTOTOなんてのも、法律をつくっても、最初の約束を当然のごとくに破って、法律を変えてでも存続させて、そういうので食べていかないとならない、組織が存在をするわけで、スポーツ振興という名前の偽善を振りかざし、無駄な組織をつくり無駄を食べて生きているようなところがある。日本のスポーツ観が健全であればあるほど、TOTOのようなものは普及し難いものだ。TOTOを普及させようとすると賞金を上げるとかギャンブル性を高めるしかないというのが本質だろう。その利権に群がる。

年金みたいな、人々の老後の生活を約束するためのものが、運営者によって、もてあそばれて、いくら消えてしまったのかすらもわからず、これから生まれてくる世代に負担を押し付けての正当化、原発もそうだが、誰が運営するかで同じことでも正反対の結果となるだろう。

人の命にしても、原発が爆発して放射能漏れを隠匿した国なんてのは、先に逃げ出した船長と同じレベルではないのか。自分の保身で放射能漏れを隠してそれがために死に行く人もあるだろう。海水を掛けると廃炉しなければならないのでもったいないという、それこそが、原発よりも何十万人という人の命のほうが安いという判断。唯一、設計のミスというか、神の手が働いて、地下から放射能が漏れ出して海に流れ出したことで無限拡散され、そうでなければ、福島はチェルノブイリの半分クラスの後遺症に見舞われたろう。

今も、除染というような言葉がきれいに聞こえるが、除染って、放射能を消すことができるのという話になる。それは無理な話で遠洋投棄が正しかったという結論になる。私自身は福島原発の所長は典型的な体内被曝の甲状腺がんだろうとみるが、専門化たちが素人未満の判断をまたやっているというか、包み隠すしかないというのが実情だろう。原発爆発して専門化が水蒸気爆発で安心しろ、素人はメルトダウンの判断で放射能漏れを心配、どちらが結果正しかったのか、そういう重大事態のときに保身が働く愚かさが原発行政で今も変わらず他国の沈没事故を笑っていられるところではなかろう。