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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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リネン日記
頭よいなあ
2016年03月05日
私も仕事を始めたときに、勉強と仕事の違うのは、仕事の場合には、記憶しなくてもよく、記録すればよいということ。仕事って勉強と比べると簡単なのだ。そして記録したものを調べればよいのだ。でも、田舎の年配の人というのは、総じて記録を取るのが上手じゃなくって、農業感覚でアバウトに仕事している人が多い。仕事も同じ定番のものが流れているだけだとそれでよいのだが、新しいものをつくるとかなると厳しいのだ。

専門学校の先生の紹介で、卒業された方が林与で働き始めてもらっているが、先生の紹介だけにとくに優秀なのだろうが、初めてでもわからないとかできないがほとんどないのがありがたい。織り子さんや職人にありがちな限界がないのが高度なものをやっていこうとするときに助かる。

よくいわれるのが、日本でのものづくりの理想は高度なものをつくることなのだが、毎日ご飯を食べるように高度な織物が出来上がってこないと、今の日本では織物を続けることは無塚しいだろう。あるいは、生産性重視で、国際競争に勝てるくらいに品質の安定したものを大量に生産するか。前者の場合には、機械よりも人の力が必要で、後者の場合には日本だと人を減らして設備が大事でとにかく設備を動かし続けることで勝敗が決まり、いつかはコストの面で海外生産の流れに向かう。

国産を謳われていたデニムの会社が中国生産に移行されるのも。その客さんである大手SPAが日本の大手生地メーカーのどこもの主たる需要先なので、縫製工場までもが海外なので国産ではほぼ無理だろうという結論。これは自動車だと国産へのこだわりを謳っていたトヨタがいつのまにか海外生産に移行しているのと同じで、規模が大きいと値段が通らないので仕方ない流れなのだろう。縫製が海外に移行して国産生地を使うというのも難しい話なのであろうとつくづく思える。

先日の取材でも話をしていたのだが、林与にしても綱渡りが奇跡的になんとか続いているだけのことで、奇跡を呼び寄せるために努力や失敗を重ねている部分が、実際には一番大事なのだろうと思える。というのも、結局はリスクから逃げないで経験をどこまで積むのかが商売の基本だろうと、これは外部にリスクを分散するジャストインタイム思想とは正反対の本当の意味での日本的なものづくりシステムだろうと思える。自分がリスク被って仕事しようとする考え方自体が日本的でいわゆる職人的で、日本の商売の基本だろう。

ある会合の講師が、トヨタ流の人が近江商人の三方善を持ち出しておられたが、哲学がまったく整合しとらんとおもえるばかりで、そういう講師の先生を生み出してしまう風見鶏的な結果至上主義というのも経営の哲学がなさ過ぎて情けない話だなあと思える。