2016年03月11日
自分自身が、46というたぶん、人生の真ん中過ぎたあたり、というよりも、実際に90まで生きたとしても残りの半分はそれまでの半分よりも何倍も時間が過ぎるのが速いだろう。
将棋なんかでも、本来なら経験を積んだ80とかの人のほうが強くないといかんのだが、名人であろうが、歳も半分の経験も浅い人たちに負けることのほうが多い。仕事も同じだろう。40歳の人が20歳の人に負けることも多い。また、20歳の人が10歳の人に負けることも多い。経験というのと吸収というのとの戦い。ものごとを吸収できるうちが花で、ものごとを吸収できなくなったら、それは一回のことでなく、そのさきずっと続くきやすい。
70歳、80歳まで物事を吸収できるひとがいればすごいことだろうと思えるが、なかなかそういう人というのはおらず、先生ぶってしまったときに結局は投了が待っている気がする。最後、先生になるよりも、下積み作業に戻って次の世代をサポートできる人のほうが私的には業界を支えるような正しい生き方のような気がする。日本の繊維が強かったのは歳をとっていくごとに能力の高い次の世代に譲れる人が多かったことがあろうと思える。
賛否両論あろうが、産業界においても歳をとっても下積みにもどれるような形で現役でいられる形を残すべきじゃないのかと思える。変な国の制度がそういうのを阻害して、本来実現できるような人生の幸せという形のひとつを実現できないようにしている可能性もあろう。老人ホームやゲートボールなど、そういう新しい形だけが老後の幸せではないだろうと思えたりする。
60過ぎたおっちゃんとかが自分の足を使ってクロネコメール便配達していたり、弁当の配達していたり、何か少しでもと励んでおられるのをみると立派だなあと思うことが多い。そういうのが年配の方を尊敬できる要素のひとつだったりもするものだ。同級生の醤油屋の70過ぎの会長さんが息子さんに会社を譲られて、醤油の御用聞きされて私の家にも回ってこられた。
今の時代、スーパーに行けば醤油なんて買えるものだが、醤油屋の商いを担ってこられた方が、やはりその商いの原点を忘れておられず、何十人の社員を使われ社長されていたながらも、次の世代に譲られて、自分は御用聞きに戻る覚悟というの普通はありえない光景だけに、業種は違うけども同じ商いとして商いの基本を教えてもらった気がした。