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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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リネン日記
イスラム国家
2016年04月26日
イスラム国家に思うのは、宗教というよりも何か裏でアメリカの残忍な資本主義的な力が働いているのではないのかと思える。戦争ビジネス的な側面が強すぎて、CIAがサウジアラビアと組んでイスラム国家を育てたとかいう話が濃厚であるとされるが、戦争というものは損得勘定で動くことが多いので、建前的な大儀のために多くの命が犠牲になる。

そんなからくりがあるとすれば、何のために何の罪もない多くの人が死んで犠牲になるのにオイルマネーというのは本当に怖いものであると思える。そんな残忍な行為に対して資金提供をして裏で金を流しているのがアメリカだとすれば信じられない話だが、金の亡者にとっては戦争もビジネスであるのは、アメリカのハイテク企業が戦争ビジネスでなりたつというのが当たり前であるのを考えると、ビジネスを成り立たすためには戦争が必要になってくる。

アメリカの中でまともな製造業がなくなりつつあって、ハイテク産業として君臨するものは人の命を奪うような力をもつ産業で、理不尽なことも多いのである。一企業が国の法律を超える例としては、DELLコンピュータの契約もそうで、DELL自身が軍事物資になりうるコンピュータ技術を中国に提供しておきながら、買う一個人にはそのコンピュータを他国に流してはいけないという約束をとる。そもそもココム規制って何だったのって話になる。ココム規制すらもがビジネスツール。

戦争はビジネス。人の命までも犠牲にするようなものではないことをアメリカ自身も理解していて、イラク戦争でも死んだ多くはアメリカ国籍のほしい移民たち、金儲けの前に人の命の軽さが浮き出る。日本の保身政治家たちが、戦場に行く覚悟すらないのは明らかで、そういう日本の弱さが戦争ビジネスには利用されやすい。

私自身アメリカに住んでいて、アメリカの基本的な精神はすばらしいと感じているが、苦になる部分に関しては他人ごとで、考えないことが成功の秘訣であるというのも事実だと思う。人としてそれはどうなのかなあと思うところで、多くの命が犠牲になるのも、じぶんたしの利益の前には仕方のないことであるという体質を改めなければ戦争での犠牲というのはやまないものと思える。イラク戦争の本当の敵も日本であったのではないかと考えると恐ろしいことで、ビジネスの前に、平和的な解決などないような気がするのである。

自分自身がものを生み出さない国家やそれを牛耳る人々にとっては、略奪の最たる戦争こそが生きる手段。それそのものがその人たちが生きていくための生き方なのかもしれないが、想定もできないほどに、情報戦線で他に悪を作って寄生する冷血なマネタリズム対しては、力ではないエシカルな連結で阻止が必要だろう。

イスラム国家の残忍性にはなぜか私としては理解が不明、資本主義的なカネの亡者が後ろで資金提供をしているような気がしてならない。オイルマネーのような利権のために人々の命が犠牲になる必要などなかろう。

電力会社が原発なくなると電気料金高くなりますよというと腹が立つ。電気料金値上げしてもよいので、脱原発でやりなさい、というと返答が用意すらもできていないのが、電力会社。カネの亡者だから駄目なんだよ。オイルマネーに、何の罪もない国家単位の人の命が掛かっているとなると電力会社の損得ではすまない。