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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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リネン日記
自分で判断と行動
2016年06月25日
自分で判断と行動を繰り返していると、いろいろな人とのつながりが生まれてくる。自分で10回のチャンスを求めて1回を引っ張ってくることによって、その失敗した9回で、人の冷たさ温かさなんかも知ることもでき大事なのだと思える。そういう9回の失敗をしなければ安全に生きていけるだろうけども、見えない本質ってあろうかと思う。日本の繊維業界が全般として苦しんでいるのも、そういう安全なものに守られたい人が増えてしまったから、衰退のマニュアル的な軌道に乗ってしまっているだけだろうと思える。

力関係に依存していると、10回に9回成功かもしれないし、人間関係もうまくいっているように見えるけども、外部からみると本質が薄いという部分は否定できないだろう。サラリーマンみたいな組織的な状況で物事が進んでしまって、自分の命を仕事に掛けるみたいなところすらなくなる。苦戦されていることの多い大手アパレル企業にしても、サラリーマンの集大成みたいなところがあって縛られすぎていて、傾きかけた組織というのは大きくなると解決方法は崩壊するしかないのだろうと思う。

大手企業でも国が救っていなければ、たとえば勝ち組の自動車会社でも数年前に消えていた可能性すらある。そのとき国は、法律を作って、全体とすれば従業員給料と関連企業の社員給料に相当する休業補償を税金から数兆円を出して経営を支えた。それがなければ経営危機が表面化してその会社は経営がより悪化していただろう。共産主義的モデルが大企業に対して働いたことでその大企業は生き残れた。国民の税金の力で生き残れているだけのことで日本企業なんて、そうでもしないと数兆の利益をあげることはできないのだ。法律がそういう優良企業でも経営の波で存続が難しいラインにできあがっていて、法律による経営危機を支える国からの救済がなければ優良企業でも存続は難しい。

力に奢ると、物事にたいする苦労が馬鹿らしくなるところがあるだろうが、実際、苦労している人を一度でも笑ったらおしまいなのである。そういう人に苦労はできない。日本の国にしても中国を笑っているうちに中国に追い越されてしまったところさえある。日本のアパレル業界で一番の勝ち組といわれるところも実質的には日本製でなく中国製という現実。5年10年で物事は実際に仕事したもの勝ちで移り変わってゆく。楽して苦労している人を笑っている人というのはまったく大したことないけど、苦労している人ほどものごとの本質を知り力強いものはないと思う。