2016年06月26日
百貨店のイベントでは、昔のアイリッシュリネンのお話などをさせていただいて、林与が本来理想とし追い求めるリネンの風合いなんかのお話もさせてもらった。昔のアイリッシュリネンなんかは、単なるラベルではなくて、実際に風合いが今のリネンとはまったく異なるのである。昔のアイリッシュリネンの風合いをしっている方々は、昔はリネンってこんな感じだったという話になる。そういうものを追い求めているのは、リネン業界でも私を含め少数派なのかもしれないがアイリッシュリネンというのは単なるラベルじゃないと思う。
実際に産地偽装問題なんかでも食品では謳いとした文言において他産地の牛肉を使って、全国的にテレビニュースになりすべてリコールで信用も失う話であるが、織物においても海外産や他産地産が産地物として販売されることが多いだけに消費者が一番くらいにセンシティブに捉えている問題なのを感じる。繊維においても産地偽装や品質偽装で企業イメージやブランドイメージが台無しになるケースも多い。商売をするからは、本質的なところで消費者の信頼を裏切らないというところが一番気をつけないとならないところだろうと思える。
先日も、地元の業界の組合の理事長が起こしになられお話したときも消費者の判断が一番大事ということを言われていて共通の認識があるなあと感じたのである。日本の繊維の世界では昔からどうやって偽装して金儲けするかという業者とまともな業者があるのを消費者もしっていて、昔のほうが着物なんかに対しての一生に一度の買い物なんてのもあったから、偽装のないものを手がけるのが商人の信用に繋がった。近江商人なんかがはるばる地元の織物を遠方まで持ってきたのを本物であると信用して消費者が使ってくれたのが原点にある。今の時代というのはどこの産地にいっても産地産の生地が手に入るかというとそれも難しいところがある。近江湖東産地でも、海外や他産地に生産が移り、産地での麻織物の生産は壊滅状態に近い、ある地元の社長さんももうすぐ産地で機屋はなくなるだろうという話を私にもされるが、そうなったら近江湖東産地も麻織物の産地ではなくなり、他産地産生地を扱うかつての産地となってしまう。
その部分は自分だけ損得のことではなくて、自分で織り続けることが産地を産地として存続させるひとつの役割というか意味にもなろう。織物を織るというのが生地の産地用件であっても、技術の高度さ、その製造作業にかかる手間とリスクの大きさ、設備維持の大変さから、機屋というものは廃業の道を選ばないとならないのだろう。2年ほど前に高齢で廃業された機屋さんがある方から能登川地区では自分のところともう一社しか残らないだろうといわれていたという話で、それが結果実際の話になり実際に生産されていた最後の2社のうちの一つであった。もう一社も火事に逢われて復活されてやはり気持ちからして仕事に前向きであられるところが存続をされている基本であろう。林与とは織っておられる分野が異なるが、同業者としてしっかりと織物を織り続けておられる姿勢は尊敬するのである。年をとって正しく織物の仕事をして、競争にも勝ち残って行くなんてことはなかなかできないことである。年をとると仕事に驕りが出て技術はあってもまず正しいものを作るところまで行く事ができなくなるものだ。
私も50歳手前になってきて、リスクを背負って産地で織物を継承できるような人を育てるというあたり考えている。織物会社に勤めておられた何十年の経験の人でも織機をもって独立されてもそれが続くことはほとんどない。産地に新しいコンセプトで入って立ち上げられた機屋さんがあったが、さまざまの工程が付きまとうので所帯はどんどん大きくなって、売れない1年、2年続くと資金的に持たなくなるものである。機屋というのは洋服を作るアパレル以上に、人、物、カネ、技術、時間が必要となり。一つの試作するのに洋服なら1万円ほどの生地代プラス自分の技術くらいでがんばれば数日で見本完成だろうが、織物の場合には、一つの布を作るにもその10倍のお金と時間が掛かるものである。