2016年07月02日
自動運転の死亡事故に責任が取れない自動運転車。メーカーが自動運転は補助的な機能ということで責任逃れをする。自動運転で、コンピュータが安全と判断したときにいきなり判断を求められて困るのは運転者だろう。今回の事故も自動運転でなければ起こらない事故だったろう。それを利用者の責任で終わらせればこういう事故はなくならない。
なぜ、自動運転を推し進めるのかという問題がある、そこには利権が大きく絡んでいる。日本の自動車業界が進んでいるといえども、死亡事故なんかがあって、自動運転で死亡事故があれば製造メーカーの企業責任が問われ、その責任を逃げれば企業はほぼ潰される。原発とおんなじで、企業の利益が裏にある政治問題なのである。
自動運転なんてものは、死亡事故につながる可能性があるからやってはいけないと注意するくらいが、事実の話で、作っているメーカーがそのような態度なんだから。車だけでなく、原発や船舶や航空機の自動運転で、機械が危険というが安全装置を利用者が無視してはずして、事故が起こったとかわからんでもない。
たとえば、織機というものは自動に運転できるようになっていて、縦糸切れ横糸切れで自動的に止まる。縦糸も横糸も切れていないのに、運転にしても止まるときがあって原因が不明だが、そういうときにやるのが、縦糸切れ横糸切れの感知を殺して織るとか。大きな問題につながることが多い。今朝も、何も悪くないのに止まるとかの問題があって、結局、センサーを強くしすぎて横糸切れが起こっていないのに、横糸切れを感知するようなレベルまでセンサーが上がってしまっていた。織機に問題があったというよりも、程度問題なのである。
自動認識も同じで、画像に移ったものを分析する日差しが強くて、画面が真っ白になれば、コンピュータでも認識は不能なのが当たり前。程度を調整する作業というのは、カーナビが、方向音痴になってビルの中を走るのを元に戻すくらい難しい。カーナビで問題が発生したときには、自動車を運転するよりも難しい問題に直面する。
日差しが強くてトラックに巻き込まれて死亡事故、たぶん人が運転していても同じように死亡事故につながった可能性もあるだろうが、人だったら言い逃れできない自己責任な死亡事故。人を殺したら、過失や犯罪者として責任を追われただろう。機械がすると人にまた責任が及ぶが、製造者ではなくて利用者に責任が及ぶというのが怖い味噌。
機械がやったら仕方ないとかPL法などの観点からしてもありえないだろうと思うが、弱きに責任を追及するのが法律。法律の判断ではなく、そこには目的が潜むことも多い。政治判断が裏にはあって運転しているものの責任を追及するというのが結論。人に対してはコンピュータに対してよりも厳しい判断が下る、そういう前提のもと、自動運転を安全だと推奨するというのは危険行為に近い。原発を安全だと謳うのと似ている、事故が起こったときに、何が問題だったのかということを解明しようとしても、利権の絡む政治問題が裏にあるので、本当の原発の問題には追求が及ばない。
今の時代のビジネスというのは、法を超えていくところに莫大な利益が存在するように思える。法に従っていては、自動運転車なんてものはそもそも開発できない。法律を好きなように変えることが出来て、失敗が起こっても潰されないくらいの力を持つものが裏にいると大きなビジネスチャンスが実現する。たとえば、YOUTUBEだって、著作権の侵害だらけだがOKで、アマゾンでも同じく著作権の侵害が絡むがOK、GOOGLE EARTHなんてのも肖像権やプライバシーの侵害が絡むがOK。アメリカ企業には、日本の行政システムは規制が及ばない。不逮捕特権のある大使扱い。
諸外国の法律を超えたものが適用され、それがアメリカのビジネスチャンス。日本企業が同じことをやると会社は当たり前の法律の壁にぶつかり確実につぶれる。ビジネスが、政治的に成りすぎて、成功するものを失敗するものが最初から決められてしまってケースが大半であるのは残念ではある。巨大成功ビジネスが、海外の政治力のある胴元ビジネスばかりになって残念ではあると思う。
アメリカは、今回はたまたま製造がアメリカの企業だったが、基本、製造という部門の責任を嫌い、サービス業的な部分でノンリスクな部分で権利を行使し、自分の好きなように法律をつくったり改正したりする。ディズニーの著作権が絡んで、著作権の期間が延長されるとか。ディズニーの裏にも法律を牛耳れるような力が存在するのも事実。
力を駆使して、ノンリスクに金儲けができるのはスマートなのだが、まともなリスクをかぶって仕事している人を潰すような法律も多くなってきて、そういうノンリスク層ばかりに資本が集中していくというのはどうかなあと思える。資本主義の現実なので仕方がないことなのだろうか。
昔、ある方に、繊維の仕事って、現実的には、デザインや企画じゃなくって、資本力だという、つまらない、さびしい話をしたことがある。夢を砕くかもしれないけど、それ以上に強い力で、成功するのも資本力や組織力という、そういう業界のつまらなさを乗り越えてもらいたいと思って正直な話としてしたものである。デザイナーになられたが、切り口がその方らしくって、そのブランドはこらからさらに大きくなっていかれるだろうと思う。私自身も代々の老舗の看板で商売しているところがあるが、看板ビジネスで既得権益におごりすぎていないかという気持ちになることが多い、何十年の経験の人が正しくものがつくれないとか売れなくなっても、プライドだけが高く残るとかが現実業界によくある話なので、気持ち的にはそういう本気のゼロからでも自分がやるぞみたいな方が繊維業界を担っていって欲しく応援もしたい。いろんな方ともお話しするが、強いと思うのは自分のお金を守ったり時間や手間を節約する人ではなく、お金や時間や手間を仕事に費やせる人、カネとかチカラじゃない人間的な本質的なところに惹かれる人が強いと思うし、宣伝広告費じゃなくって、そういうところがブランドビジネスの根底であってほしいと思う。
日本国内でも林与の生地って高すぎるといわれるし、ヨーロッパに行ってもいわゆるヨーロッパのリネンより高いといわれ驚かれる。林与も田舎の零細企業なのに、それで商売が成り立っているのだから恵まれすぎているなあと思え、逆にそういう恩恵を受けるからには前線の兵隊でなければならないと思える。
昔の業界の兵隊さんで、現在業界の重鎮で国際的な場で講演されたり先生中の先生な方たちも、昔はサラリーマンながらも、サラリーマンの枠を超えて仕事され無理難題を乗り越えられて役員になられるのも当たり前とお話を聞いていても思う。そういう方が、展示会で私を見かけると声を掛けてくださり応援くださる。林与も、普通だと死んでしまうのじゃないかとう一線も度々も仕事が絡んで経験をしているが、そのくらいじゃないと厳しい時代の産地の織りの現場なんてものも守っていけないであろうと思える。繊維をとりまく環境からして行政がブラックということもある。たとえば、国の方と話をしても、日本のものが海外の新興国に高く売れるはずないという頭でありながら自由貿易やTPPとか、企業経営者が会社存続のためにがんばろうとしても、国の役人が海外でのリップサービスや自分かわいさに日本の繊維業界に大きな負担になる爆弾を仕組むことも多い。
身売りして役人が生き残る、アメリカをはじめ新興国にも負けるのも当然だろう。役人が世辞判断するのだろうが、経営判断としてはミスが度重なる。諸外国の繊維産業よりも日本の繊維産業が一番成り立たせるのが厳しいという結果を招く。繊維で起こったことが、ほかの業界にもおよび、大手の家電メーカーが窮地に立たされる。政治家や役人にとって、諸外国との駆け引きの中で国の身売りを招くようなことは諸外国の国益につながり簡単なのだ。力のない政治家や役人は交渉が下手なのでそれをやりがちで、その尻拭きは、繊維関連の家族経営企業が担うとか、厳しい話なのである。
狂牛病問題でも、国内の蓄牛農家は厳しく規制され無駄な費用。アメリカ牛肉は危険性があっても、輸入可能。なんじゃそれはなのだが、国内に、大手を守り零細を苦しめるような行政の体質があって、国内の規制にしたがうまともな業界が傾くのも国策のひとつで当然だろうなあと思える。力関係で生きている人というのは力に弱い。