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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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リネン日記
ありえない感覚
2016年07月14日
ある織物関連の方が、織ってもらっているところがありえない織の問題ということをブログに書かれていた。工場が年を取られてできなくなっておられるということだろう。林与も以前は出機さんがあったので他人事とは思えないところがあり、来るところまでこられているのを感じる。情のある方だからそういう失敗もかぶって織り賃払ってそのB反の片付けもなされるのだろう。

林与も出機さんの末期では4回やって全反ほどが全滅という大きな問題の片付けをしていても、出機さんというのはお金はまだかという催促される感覚なので、何十年の経験があるからといって仕事の本当の辛さを知らないものである。私の場合には作るたびに糸の支払い、従業員の給料の支払い、出機さんに織って貰うための準備、お客様との約束、がつねに付きまとうから、正しい仕事が当たり前に思うのだが、実際に自分で失敗の責任を被られない方には、仕事してお金を失うというような感覚はわからないところだろう。

これからの人に知ってもらいたいのは、日本だとクリエイティブなことをすれば地場産業が救われるような発想は幻想で、簡単な仕事でも正しく仕事をできるようにならないとならないところで、そういう部分、若い人も理解して仕事には入ってきて欲しいのである。案外、地場産業系でも、年配の方が以前のように商売が儲からなくなったときに考えるのは手抜きであることが多い。クリエイティブというのは同じような側面がある、センスというのは古今東西共通というものではなく、評価されるときもあれば評価されないときもある、また、評価される場所もあれば評価されない場所もある。ようは、責任探しをせずに自分が責任を取る覚悟でクリエイティブなことをやってほしいと思う。クリエイティブそのものを否定するのではないが、自分がクリエイティブなことをやって評価されなくても別の方法で生きていく道は探して欲しい。食べていけるまで、クリエイティブな部分はそれに見合った別腹で動いてもらいたいのだ。

これは青色ダイオードの特許の件ともつながる。普通に会社の仕事をこなして、別腹で開発していればすべて正しい評価となっただろうにと思うところ。偉大な発明をした人でも、自分が養われていても、今度は、ほかの人を養うという部分がみえていないのは残念な気分がしたのは事実。けど、問題は裁判官の常識のなさ、6億で手を打った発明者の一般人に通じるモラルが見えるが、払うべきは1200億とかいう裁判官、国の税金で養われている裁判官自身が個人で手にしたい額なのだろうけど、力のある人が、国家や会社や他の人を養うという感覚すらないのが怖い。国家なんてものにしても、実質、支える気持ちのある人の労働で成り立っているだけのことなのだ。立場とか口だけでは人やその家族までもを支えるなんて絶対に無理な話。

突然話は変わるが、テキスタイルマルシェの会場にも来ていただいて、流しの洋裁人の原田さん、自分で歩いて行商とか、やる人はやるのであってほのぼの系に見えても中身は自分を支えて、ほかの人を支えるくらい強い。大人ってそうじゃないと自分ひとりも支えていけないと思う。林与の生地でも、原田さんの財布なかの出せるお金のすべてをいただいて、使っていただくと重荷になるのではと非常に心配するところもあったのだが、注文があって、ほとんど生地なくなったというようなお話でうれしかったところ。主催で林与をPR下さった北原くんや原田さんのお客様にも感謝なのである。

またまた話は変わるが、今の繊維は、昔と違ってマイナス部分も動いているのでそれを乗り越えて成り立たせないといけないところがある。日本全体が海外生産に移行しているので、ものづくりの側面から考えると、日本企業といってもそのほとんどが海外企業の営業窓口であるようなところがある。

国内というのは実質的なリスクを背負う部分とか、ものづくり企業がものをつくる部分とか弱めて、リスク少なくスマートな生産みたいなことを考えて、海外では現場もしっかりで企業がリスク背負って生産していて正しく利益を上げているようなところを感じる。高度成長を成し遂げて、ハングリーさがなくなって、仕事をつくることや目の前の仕事もこなせなくなってはお手上げだろう。姿勢からして実際に働いている海外企業や海外の人のほうが正しいような気がする。

大臣もやった大学の経済の先生が生産性を上げてGDPを伸ばすとか、おいおい、そんな程度で伸ばせる生産なら海外に移したほうが簡単だよと小学生が言いそうなほどに、大臣や大学教授レベルの感覚も落ちている。日本が海外の生産現場と競争させられて大変な苦労しているのをまったく知らないという現実。この方は、行政が海外に生産が移っていくのを助けるような政策ばかりやって、企業努力で国内に生産が残るとでも思っているのだろうか。国の経済の舵を取った人でも、自分が反対に舵を取って、この船は正しい方向には行かないよ、では困る。

旧の共産主義国が低落しがちな自由主義経済を普通に越えていき始めている中で、政策が旧共産主義国のようにがんじがらめの法律で規制ばかり吸い上げて国の指導に従えみたいになって、外資には自由に日本の法律も及ばず市場を取られて、内弁慶な国家行政って、江戸時代の悪徳奉行そのものじゃないのかと思う。

なんで、原発関連では死者や健康被害が出ていても環境庁や労働基準監督局も動かないのだろう。一番あかんじゃないのか。国にしても高濃度の残土はアスベスト以上に危険なものなのだが、それを全国にばら撒くようなことやるのは駄目だろう。水俣病やアスベスト、HIV、C型肝炎、などのたびに反省の言葉たれるけど、国が、避けられる別の方法もあるのに、利権にまみれて多くの人の健康や命を奪っては駄目だろう。体内被曝すれば危険性は数千倍なんだという当たり前の事実もわかっているのだろうか、チェルノブイリの石棺化した管理のほうが多くの消防士などの死者を出したが、意図的に見えない無限大の危険を日本中にばら撒くよりましだろう。

危険なものを推進した旧ソ連の片づけを、いざというときには国民の命を守るために自分の命を投げ出す覚悟を決めた消防士たちが片付けたということでそれはそれでひとつ筋が通っているような気もする。普通、民間企業が残土をばら撒くようなことをやったら日本全土を汚染に貶める極悪企業として国に罰せられるだろうが、原発のように国が絡んでいれば、合法化してこれをやってよいのか。汚染土をばら撒く話でも、原発と同じで管理できるとか安全といって、撒いた後のリスクや責任をまったく考えていないのが、原発行政の変わらない体質そのもの。豪雨や台風の土砂災害だけで道路も流されて一発だろうが、どこのいいかげんな口が管理できるといっているのだろう。原発行政は素人の隠匿行政、やばいんだよなあ。