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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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リネン日記
真夏行きますよ。
2016年07月30日
なんか、今日は今までで一番くらいに夏を感じさせる熱さ。お客様で、倉庫の生地を暑さに耐えながらみてもらって、お付き添いの方が初めてお越しの方なので、休みの工場の中を少し見学してもらう。ブランドオーナーはシニカルな冗談言いながらも積極的に在庫生地のバルクでの活用を考えてくださってて普通とは違う考えのオーナー、付き添いの方に林与がものづくりは職人的だというあたり説明くださってる。

細かいことを深く考えていると仕事ができないので、細かいことは考えずに目の前の仕事をこなすこと優先のスタイル。普通は無理なんだわ、と思うことも多いが、それをどう成り立つビジネスモデルに変えるのか。また、そうやっていると普通とは違うものづくりになって、つくる素材も一直線みたいなものが増える。一直線とは、こんなのが作りたいと思ったら、それだけのために糸を考え、デザイン考え、機から作って、同じ麻布でもほかの布とは違って見える布つくり。その布をつくりあげたいがために没頭、時間が許せばというか追い込まれると無制限勝負ということも多い。一ヶ月、1メートルも織れずに路頭に迷うこともあるが、そういう経験をしたことの無い人がほとんどなので、そういう経験の積み重ねが自分のもっているほかの人には無い力なんだろうと思える。普通は仕事と割り切ればできるみたいな話だろうが、実は仕事と割り切ればできない世界であるのだ。

織物の仕事って基本はそれほどは難しくない世界で、壁にぶつかっても下手でも下手なりに自分の時間をつかってやれば、それなりに答えに近づいていくものである。だが、一回一回が薄いというか浅いタイプの人というのは何も成し遂げられないままに答えにたどり着けずで、全体がそうなると、それでは海外の量産型の織物生産の単能工主義型が理想ということになろう。

人の力が生きるのが、人の力を必要とする現場なので、できないのが当たり前と人の力を否定してしまえば仕事として成り立たせることは難しいだろう。そういう普通はできないと思えることをできるということがプロの仕事として成り立つのであるだけだろう。機械が発達しようが今度はその機械をどううまく使いこなせるかが、人の力となる。機械任せで人の力が落ちては取り返しのつかない方向性。

コンピュータの世界なんて、機械が発達しても昔はマシン語くらいがすごいなあだったけども、今はどんどんと新しい技術が導入されてそれに追いついていくことができなければ、つくる側の世界は成り立たない。先進国でやるとするなら、繊維も同じだろうと思うのだが、数年前にできたことが今はできないとかが多くなりすぎてどうしたものだろうかと思うが、それが産業が一年たてば一年を取ってしまうという状況なのだろう。逆でないとならないのだが、仕事の考え方のすべてをリセットするくらいのことしないと、日本全体も一年たてば一年年を取っていくだろう。

私にしてももう若いとはいえない年なので、次の世代の繊維の人たちには日本の繊維を盛り上げてほしいと思うことが多い。一番期待するところは技術とかではなく、リスクを被って仕事するような部分、また、自分でいろいろと試行錯誤すること、いろんな修羅場を乗り越えるような強さというのはものづくりの深さにつながる。新しいものづくりをするときには需要を生み出す努力も大事だろうと思う。提案だけでなく、実際に自分がそれを使って売る努力するとか。材料費を何十万円も試作に使うのは簡単でも、その使った分を回収するのは難しい、努力などもすればそれで仕事の幅が広がることが多い。

昔、私も先代が糸がもったいないから要らないもの作るなといわれ、一切、自分で考えてのものを作りを封印したことがあったが、時代が変われば何が正しいか変わることがほとんど。今日も倉庫で昔作った布を見て、若かりしころの情熱を感じた。あの時の感覚が戻ってくることがあるだろうか、すごく綺麗な気持ちでものをつくろうとしていたと思う。

自分で仕事以外で自分の時間使って、売れると思う布をつくろうなんて人は繊維の仕事の世界では少ないだろう。まだ、ゲームとか漫画とかの世界ではそういうクリエイター的な世界がある。プラスアルファ必要なのは、自己犠牲で他を支える気持ちで、そういうものづくりというのは好き嫌いじゃないから強い。人の避ける部分の仕事を自分が担って全体を成り立たせるとか人の面倒をみるという仕事をいとわない人が貴重なのである。