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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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リネン日記
産地の危機
2016年10月01日
産地というのは行政もそれなりに大事にしていると思うが、産地も一年たてば一年歳を取るという状況。20年、30年前に活躍されていた方がもう仕事もできなくなってしまわれているケースがほとんどで、織りの世界においては次の世代が育たなかったことが一番の問題だろう。織りというのは織る技術だけでなく織機を調節する技術が必要で、産地にも織機を上手に操れる人もほとんどいなくなってしまっている。

もう10年ほど前になるけども、シャトル織機を10台移設してそのうち9台がまったくほど織れない。その原因が不明ということで私自身が考えると1時間で答えが見つかった。次に2台を移設したときも2台とも動かない、そのときも私自身が考えると問題が1時間ほどで見つかった。原因がみつかったのもどっちも偶然かもしれない。一年前の移設でも織機は入ってきたけども、シャトルやシャトルの管がないという動かない状態から。織機の移設というのは問題だらけから始まることがほとんどで、それを解決する力がなければ移設前よりも悪い状態になるのが普通。

他の会社でも織機を移設したあと動かないという話を何件も聞く、どこの会社でも職人さんが動かそうとするが原因を探ってもわからない場合は、動かないままほったらかしになるという状態が普通だったりする。新しい中古織機を入れてそれが動かなければ、今までやってたこともできなくなって仕事自体がジエンドのケースも多いだろう。織機を入れられて20年一度も動かなかった織機が知らずに、林与にきたケースもあり、その会社が他の会社よりも早い時期に従業員さんを少なくされ、織りを辞められた原因のひとつにつながったんだろうと思うが、弊社にその織機が来たときにそれも何とか乗り越えられた。

繊維産業を取り巻く状況は、普通だとつぶれて当たり前のような爆弾事も多い、注文が入っていても、実際に1mも織るのが難しいとかの仕事も、昨年も3件あって、普通に織れればトントンの仕事が、それぞれの仕事が糸の問題で解決に3ヶ月から5ヶ月掛かったりもした。他の仕事がまったくできなくなる。はっきりと織れない状況で納期を約束させられるのはありがちなのだが、それは酷過ぎる話。結局、問題が支給された糸にあるというのは厳しい話しである。いくら調整しても他の色は織れてどれかの配色が糸切れなどでキズなしに織れないと言う3件の問題。調子の良い織機に優先して掛けてゆくが、調子の良い機に調整を掛け、駄目で別の織機に。機場が墓場と化した。

支給された糸の問題なので織れないですめば良いけど。3つの仕事で他の仕事ができないくらいになる。使える織機も今の時代の普通に働いて幸せの生活みたいな流れだとこういう問題は吸収できない。なんとか奇跡的に解決になったからよかったけども幸運がなければこのうち二つの仕事はできないで終わった。これの繰り返しは次は無理だろう。誰が悪いわけでもないのかも知れないが、仕事を請けるだけで正しく働いていても会社がつぶれる可能性は高い。

面白いことだが、織機の問題なんかでも、昔から他の人が、違うよとか、関係ないよというところに、正しい答えがあることが多い。その織機をずっと使っている人たちが否定しても、それが原因であると思うとそれを確かめることから始める。普段仕事している人が、見えないことって多いものだから。麻の織物をするときに大事なのは糸の強弱の感覚、それが私も最初どの強さが普通というのがわからなく迷ったが、自分が始めて本生産をした日にクリア。

すごい人はもいる整経をしていた人に、織る人の品質の問題で、納期の厳しい一回勝負の仕事、織る仕事が必要で、教えるから織りなさいと教えると、その日から織機を上手に使えた。面白いことで機場の人は私が織れるのを知らないとか、ひとつのことをしている人は自分だけができると思って職人的な傲慢になりがち。機場の人たちに織れないと馬鹿にされていたところもあって、織れたのをすごくうれしがっていた。整経のバンドの始めの目合わせや巻取りの幅の設定が、一回勝負のコンマミリの感覚なんで、私は整経は一番正しく仕事できる人に仕事してもらうことにしていただけのことなんだけど、小さな会社の中でも、川上の仕事は軽く見られたりするものである。