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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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リネン日記
底冷え
2017年01月14日
今日は、底冷え、年末からこの2週間ほど正月もなく型紙捺染を四六時中。ほかのことが手がつけられないほどにはまって、一つの柄をつくるのにも、何度もやり直して、この2週間が1年2年の感じ。染を本格的にやるのは数年前に、正月3日間、京都の染工場を借り切って朝から晩まで作業をして以来。あの時は、サンプルを試作してくれた人が音信不通になって自分で本番を染めないと解決しない話。

昔は、林与も横糸に捺染していたので、柄をプリントするプリント工場と同じ側面があった。近江上布というのは、横糸に捺染したものを一本一本柄をあわせながら織り上げるのが近江上布絵絣。産地の機元とよばれる機屋は染の現場も工場内に持っていたのが産地の特色でもあった。近江上布の機元を構成したのは麻組合の湖涼会を形成した六軒の家で、林与もそのうちの一軒であり東円堂という村の産業として近江上布の生産を行っていた。戦後の一時期も村の多くの家が林与の仕事の近江上布を織っていてくれた。

たかだか、50年ほど前の話なのだが、それを知っている人も少なくなり、もう遠い昔のような話である。今、林与が、広幅の絣を織るというのはおじいさんの頃の時代に戻る。会社にも、基本、私一人しかこういう新しいことを出来る人もおらず、先生も居ない。薬剤メーカーの説明を聞いて、自分でいろんな染料や薬剤を試してみて、うまく染める方法を見つけ出すだけのこと。おじいさんの頃にしても同じ感じだったろう。今日は虹の模様を手がけている。ストールとして羽織るだけでも優雅な気持ちになれる。

3日に一つ柄を生み出してゆけるようなものづくりが復活できないだろうか、広い幅で、1年に120柄の復活が可能になる。日本の麻織物の歴史が巻き戻されることになる。そういうものづくりにたどり着ければ、林与のものづくり世界でも一番面白いと思ってもらえる人多いんじゃないだろうか。出来上がるものは商品というよりも作品というか、絵画に近く、身に付けることができる芸術品。