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リネンや麻を織る日々をつづっています。
リネン日記
2017年01月15日
雪の中に閉じこもって仕事。私自身は近江上布を育んだのは琵琶湖よりも雪深かったことではないのかと思っている。というのも、滋賀県でも、細い緻密な麻織物は山で織られたというのが定説である。琵琶湖の周辺での織物というものは粗い織物が多かったといわれている。琵琶湖の周辺の生活というものは、私の母親の親元は農家であっても、川魚や琵琶湖の魚など水産業が副業であったりした。同じ、滋賀県で、車で30分琵琶湖に向かって走ると水や水辺を中心とした生活がある。

山側というのは木の生活で、そこには、麻という植物も含まれていて、夏は農業、冬は織物という形。林与のある場所も山とはいえない、山と琵琶湖の間の辺り。農業でも、水利からしても山に近いほうが稲作には良いのであった。今の琵琶湖周辺一体は戦前は沼地っぽいところが多くて、戦後の人口の増加に伴い、干拓され農地になった地域である。

戦後においても、夏場農業をして冬場にする仕事がない状況で、村人たちの生活の支えとなったのが織物であった。林与の住む集落の名前も、東円堂ということで、文献によると西暦700年代には、相当裕福な村であったことが書かれている。弥生時代のあとに条里制がしかれて、都のような碁盤の目に区画が整理されていた。たぶん、その頃に1村50戸ができあがって、そういう村が点在しているのが林与のある地域で、なぜ裕福だったのかは、律令制度の影響も少ない寺領だったということがいえよう。

近江で、明治以前に牛食が許されたのも、寺領であって律令制度の影響を受けていないかったからというあたり。その一方で、神仏信仰が全国でも一番くらいに強いといわれる地域であったりもするのもその名残であろう。織田信長の安土城も車で30分くらいだが、織田信長というのは私の住む地域では何も語られることはなく、寺を燃やしたとか悪い話が多い。

近江牛ついでに、鮒寿司という文化がある。子供のころは、家で漬けた鮒寿司というものは臭すぎて風邪をひくと食べさせられた。今では高級品であるけども、あの臭さこそが本物の鮒寿司だと思う。腐ってないというより、腐った匂い満々の鮒寿司。日本最古の寿司も、近江から始まっている。