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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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リネン日記
自分の手がけるもの
2017年09月08日
自分が手がけて育てたものというのは、別の価値を感じるもので、たとえば、自分が布を作るときに、自分の時間と労力を使うのに巷にあふれているようなその他大勢の部類のものをつくろうとは思わない。普通にみえるものでも、一つのスタイルを持っていて、妥協のないものづくりを考える。それは自分がものをつくる環境から作り上げて相当な時間と労力を使うから妥協したくないということがある。自分の中でそのもの自体のできあがり以外にも、それを作った背景があるから自分なりの価値を感じていたりする。

ほかから引っ張ってきたものには、自分が作ったときの苦労などはないから価値は商業的な価値が先に立ってしまうだろう。よく、生地のことに関して、どこの糸を使っていますか、という話になるけども、私にとってはそこは一番のポイントではないことが多い、一番大変なのは自分自身で生地をつくることのできる背景を維持していて、自分が生地を生み出しているところで、それなりに良い糸を使うことはチョイスの一つでしかない。

良い糸の定義にしてもほかの人が良い糸といおうが自分が使ってみて、糸の良し悪しを判断するのが一番大事だと思っていて、使って布になったときの、その味わいがよければ良い糸だなあと思う。リネン糸は同じ銘柄の糸を使っていても、年によってもロットによっても、毎回微妙に違うのが普通でそれを扱うことによって五感で感じる。糸以外の要素に染めという要素も入って織りやすさ織り難さが決まり、それを吸収して織り上げるのが今の麻機屋に必要となる技術だろう。横糸だけならよいけど、麻糸を縦糸に使うときには織りの問題が起こりやすいものである。

最初、まったく動かない状態から、何事もなかったかのように、何千本もの繊細な糸が織れ出すというのは、布という製品がどうというよりも、人間の本能的なものづくりの要素を引き出す崇高な儀式に近い。手織りは大変だといわれるけども手織りよりも何倍も大変だったりするのが、麻糸を縦糸に何千本も操る織り出すまでの毎回の作業で、それを淡々と人の力で解決してゆかないとならない。