2017年09月11日
リネンキッチンクロスHDの生地を織るために、久しぶりにシャトル6号台を使う。この織機が一番厚く織りやすいのでこの織機でいつも織るのだが、びっくり、10箇所以上も織り出すまでに調整が必要。織ってた人がこの織機の部品をほかの織機に使ってしまって歯抜けになってしまってて、動き出すまでに半日以上調整を掛ける。でも、なんとか動き出して思った以上に調子が良い。よかった。
こういうのが直線的にできなければ、注文を受けても困るだけ。中古の織機というのは、正しく動けば貴重なものなのだが、正しく動いて、正しい生地が織れなければどうしようもなく、そこには織機を正しく動くように修理や調整ができる力が必要。織り手が上手なら織機もどんどんと調子があがって行くが、下手な人が織機を使うと織機自体がボロボロになる。
極端な話、ねじ一つ大事にするかしないか。織機の何千回緩めて閉めようが、ねじ一つも一生ものというのが基本だけど。そういうのが分かっていないと1回でねじを壊してしまう。ねじ一つ閉めるのに加減があるので、そういう加減的な要素こそが人の技術なのだが、技術というと工程や技法だけと思われがち。同じ工程や技法を使おうが、それが長持ちして成り立たないと駄目で、こういう感覚に陥るのは、私が普通の職人ではない、場や仕事をつくる立場からだろう。だから、林与の生地の一番の特徴というのは、自分の工場で織っているという部分だったりする。
それが普通のことに思われがちだけど、それが一番大変なこと。よくサラリーマンちっくな考えで、技術なんてビデオで継承とか提案があるけど、大事なのはそこじゃない。そのビデオをみて技術を得た人に仕事を与えて養っていくとか、そういう人が働く設備を維持してゆくとか、の部分で、そういう提案する人がそれが出来るのかというと、部分しかみえていないだけの提案に過ぎない。そういう提案をされる方にねじ一つ、糸一つ結んでもらうと、それから無理な話だったりするもので、それを正しく上手に何百回何千回繰り返す現実的な部分は、ビデオの逆戻り再生ボタンを何百回間違わずに交互に押す作業と似ている。
織機も、素人でも動かせるように簡単なものに進化して、また、作業も分業化してシンプルにして、誰でも仕事ができるようにみえるけども、そういう世界は存在していて、それは大量生産型の安い世界を追い求めるそのもの。機械の力でできるので人件費の安い場所にもってゆくのが要素。人の力を無力化して莫大な設備で、ボタンを押せば飛び出してくる製品というのは勝ち組かもしれないが、量を売らないと成り立たないので逆に高級ラインは難しいだろう。
結局、面倒なことが嫌というのがチャンスの部分だったりして、険しい山を登る話で、もっと山が高ければよいのにと思える人が残れるのが現実的な仕事のできるタイプの人だろうと思う。自分でものをつくるだけでなく、ものをつくる機械もつくるとか出来るタイプの強い。意欲が大事で、1ヶ月、2ヶ月で何十年の職人さんを上回れるような人が今の時代だと必要。とことんやる覚悟があれば、それほど難しいことではない。