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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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リネン日記
古布
2017年11月09日
昨日は、麻の古い布をみる機会があって大麻が原料になっているというお話。近江上布ということだが、絣ではなくプリントが施してあった。白く晒した生地にプリントというのは珍しく、私としては初見で柄と色合いからすると京都の捺染の世界の色合い。地場の江戸時代の麻というのは、藍染が主体で、絣になっているものが近江上布とされる。

近江では野洲晒が有名ではあるが、愛知川の晒も野洲晒の職人が移り住んで愛知川での晒が始まったといわれている。野洲晒しは、奈良に野洲の職人が技術を勉強に行って覚えたとする説が有力だそう。今も野洲には紺九さんを初めとして京都の国宝や重要文化財を守る藍染の技術がある。野洲では晒すだけでなく藍染屋さんがたくさんあって、古来の藍染めの技法を再現したのが紺九さんである。

彦根城のすぐそばには紺屋町が残っており、彦根では織物はあまり織られていなかったとされるが、染屋は存在していて、高宮布を藍染していたものと思われる。彦根には京町という名も残っており、小京都の名残で、京都の文化さながらだったろう。江戸時代にも、京都のものが入って売られていた可能性は高い。彦根の呉服商の旧家をゲストハウスにしておられる無我さんでみせていただいた着物は、まさに金襴の世界で、彦根の地場産業である仏壇の技術などもシルクであろう素材には京都の室町の金襴織物を感じる。彦根城博物館にあった大名の衣装も麻は確認が出来なかった。素材に関するドレスコードがあったに違いない。

シルクというとやわらかいイメージがあるだろうけども、必ずしもやわらかいとは限らない、シルクを精錬する技術もたしか江戸時代に完成したような説があり、それまでのシルクというのは麻を思わせるような表情のしっかりしたものだったろう。着物の世界ではハリやコシというものは大事だったりするもので、光沢感のないマットなものは安いものとしてとらわれたのだろう。