2017年12月02日
昨日、夜に愛知川の平和堂で滋賀麻の山田さんに久しぶりに出会って、ミラノウニカの話になったのだけど、今年も林与は今の仕事で手一杯で後手後手になってしまってのお話。昨年出展された会社さんがミラノウニカで大きな仕事が入ったというお話でその話を聞いて私自身もうれしかったことをご報告。
イタリアは、リネン、ウールなど、天然素材がそろった紡績の本場でもある。日本で1960年代後半にメゾンが立ち上がったのもイタリアでミラショーンをはじめとするブランドが1960年代中ごろにコレクションを始めたのを、日本版として今の日本のファッションブランドの大先生とされる大御所の先生たちが続いたことがあろう。続いたと書いたがそれはヨーロッパの流れからの還流で、イッセイミヤケ氏などはすでにヨーロッパを舞台に日本の布の文化を広められた。
林与の布も布として洋服になるが、デザインをみても布を布として魅せるような見せ方をされるのは、布に対しての思いが基本であられるあたりだろう。布を羽織るような形で贅沢に使い、布を盛り上げることに力を注いでおられるところが、布から受ける感性を大事にされているのではないかと、大御所たるスタイルなんだろうなあと。一枚の布を羽織るようなスタイルが多いのもイッセイミヤケの特徴。洋服問いうよりも布をまとうようなみせかた。
求めようとすれば欲のように広がる創造の世界なのだが、自分の出会う人が作り出すものごとを支えようと最後は人を支えることなんだろうと思う。イッセイミヤケはアパレルでありながら多くの布を生み出すところに力を注いでいるのが、着物の世界の織元と似ている。
林与自身が布そのものが最終的な作品であるように思えるのもまさに衣(コロモ)に対する評価で、天婦羅でいうとどうでもよいようなコロモノの部分の美を求めるというより、そこが自分の人生を反映するキャンバスである。デザイナーにとっても、自分の人生を布というキャンバスに表現するというだけのことだろう。それに憧れなのか情けなのかで人々が自分のつくった布をまとってくださる。
価値を見出す布というのはそれを作る人なんだろうと思う。昔は農家だったら若い母親が自分で家族の着る服の布を織った。裁縫して服にまでして、優劣などもなくできた形を受け入れるだけ。布を織る、裁縫する母親がへたくそだったら子供は我慢すだけの世界。別のチョイスはないあたりが、自分のつくったものを子供に着せて、自分の作ったものに世間の評価を受け、母親の技術も向上する理由だったのだろう。