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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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リネン日記
似ている似ていない
2018年03月29日
昔、昼間、コンピュータの会社に在籍したこともあるが、C言語という言語はオブジェクト指向といわれ、織物を作る作業をオブジェクト指向に当てはめると、人というオブジェクトと織機というオブジェクトをつくって、人には、スタートボタンを押すとか、縦糸をつなぐとか、の動作を定義する。織機には、ボタンというオブジェクトを持たせ、スタートボタン、停止ボタン、寸動ボタンなどの属性を持たせ、属性ごとに押されたときの動作を定める。横糸というオブジェクトも存在して、縦糸というオブジェクトも存在する。それぞれが切れたら縦糸切れ、横糸切れのイベントを発生させる。横糸切れのイベントが発生するとそのイベントを受け取った織機が止まって横糸切れの電球をつける。人というのはパトロール動作をしていて、その動作の中で、横糸切れの電球がついているかどうかという動作をして、横糸切れランプがついていると、横糸切れ処理の動作をする。みたいな感じで、織物が織られてゆく。

それと似ているなあと思うのが、今の広幅絣のプロジェクト。捺染台の定義、蒸し器の定義、また、それらを作るために道具を手配し、道具でそれらを作ってゆく。また、私がプログラミングも繊維の仕事も似ていると思うのは、プログラマーもデバッグの作業があったり、織物でも修正の作業があったり。ちょっと違うなあと思える部分もあって、コンピュータの世界では熱暴走とかOSのバグ以外はエラーはあまり想定しなくてもよいが、実際の織物では微妙な感覚で出来上がりが変わってくる。また、出来上がったものの良し悪しを人が基準を決めて判断する必要がある。外から与えられるばかりの世界ではなく、オブジェクト自身が自分自身の動作プログラムを作らないといけないのが生身の世界。

違うといえば、コンピュータにとっては、どんな絵でも色のドットの塊あるいは、オブジェクトの集合体に過ぎないだろうが、人がそれを見るときには、書かれているものが猫とか犬とか認識するだけでなく、かわいいとか美しいとか見る人の感性が大事。それは人によってそれぞれなのである。