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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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リネン日記
自分が動かないと
2018年03月31日
私が商売やものづくりの仕事で感じるのは自分が動かないと動いている人に追い越されてゆき、それに慣れるといくら昔すごかったといっても実際にできないばかりになり、ものごとをやろうとしたり立て直そうとする人の脚を引っ張ることが仕事になるどうしようもない状態に陥る。

先代も調子のよかった時代のあと織物の構造は分かっていても実際に自分が作業をできなかったのが一番の弱い要素で、ものづくり企業のトップとしては現場の人間以上に作業に対して忍耐も覚悟もなければ建て直しなんていうのはまったく難しいだろう。一つ一つの作業の正確さもなく物事を企画してもやればやるほど失うばかりの仕事になる。センスなんてのは前提条件で、そのセンスを形にするために本職らしいところがないと駄目。

本職らしいところがないとセンスが生きてこないことが多い。いわゆる頭で考えるのは実際は難しいというところ。実際は難しいところを当たり前に形にできる力みたいなものがないと、企画も無意味だし、センスも無意味な話になる。センスや企画なんてものはあって当たり前、それをどう形にするのかの部分がよい時代が終わると難しくなったというのが日本の繊維業界の衰退の本質だろうと思う。

大手のSPAが、海外で企画力やセンスを生かし、リネン100%のものを日本市場にぶつける中で、日本では、高いものは売れないから綿麻で値段を落としてという流れ、お客さんがブランドに高いお金を出す意味すらもブランドさん自身が否定してしまっては、大手SPAの初めてのリネンに負けてしまう現実。国内一流の大手アパレルメーカーにしても、素材のアドバイザーっぽい年配の方がおられてリネンの話をするがフラックスの原産地に関しての大きな誤解があってそのアパレルメーカーのリネン素材の一番の謳いが一番危ないだろうなあと感じたりもして、ものづくりの現場からこない企画というのは頭の中で広がる幻想で生まれてゆく。

ある伝統工芸のお店に行くとサンプルは一から職人が作ったもので、実際に販売しているのは輸入品ということがよくある。サンプルは価値があるのでその商品見本が欲しいといっても売ってくれない。産地まで出向いても販売されているものは産地さんじゃないのが当たり前なんで、卸を経てどこどこの産地で仕入れたとかは本当の産地のものでない確立がもっと高い。

結局、産地というのは自分がそこで作っているということなんだろうと思う。林与にこられた方で、林与の一番の特徴は何ですかという話で、「つづけてやってることだろうか」と魅力のない答えになることが多い。初めて会う方にその意味を理解してもらうのは難しいことだろうと思う。わたしも産地に入ってこられる若い方に自分で織ってやっていかれることを薦める。それが産地の本質だから、でも、なかなか織るという部分は織るだけでなく、織物を生産する環境の整備と織るまでの準備が大変だから会社規模でも織物を辞めてゆかれるのだから、産地に入ってこられる若い方がそれを背負えるかというと、自分の服が汚れるのに機械の下にもぐるも難しい話だろう。私はそれが当たり前にできるから追い越されないところにいられるだけのこと、できなくなったら終わりと思う。