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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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リネン日記
現場指導
2018年04月15日
19歳の警官が41歳の警官を拳銃で射殺した事件で、車庫入れに失敗して罵倒されたことが原因らしいという説がある。射殺の部分を除けば、会社で新入社員が車庫入れで会社の車壊して上司が新入社員を罵倒したら、これは行政指導の対象になるだろう。41歳の警官が一般的に正しくみえるような指導をしても、行政的指導からすると、職場という環境では、19歳の警官が正しいことになる。41歳の警官がどうでもよい人だったら、保険で解決するから大丈夫だよ、といえたかもしれない。いい加減な人じゃなかったから罵倒したのだろう。

射殺するほどだから、罵倒されて腹が立つばかりで反省とか自分の起こした問題の大きさ理解が難しかったのだろうかというより、好青年で今まで罵倒もされたことがなければ罵倒され人生の終わりを感じ、むちゃくちゃな行動に出たのではないか。あとの行動がむしゃくちゃすぎて、50万円引き出したり、パトカーで逃走とか周りが見えて過ぎず、支離滅裂感が漂う。

すべてが用意されている学生状態から、車庫入れ事故のような生の経験の厳しさが乗り越えられなく、自暴自棄で今回の事件につながったのではないだろうか。国会での非を咎められるとトップのエリートが書き換えしてと一人自殺に追い込んだのと犯行に及んだ経緯と罪の意識もない犯罪という点では似ている気がする。パトカー車庫入れ失敗をもみ消してあげるくらいの構造でないと今回のような事件が起こりうるほどに、問題を素直に受け止める力というのはなくなっているんじゃあないのかと思える。なぜ罵倒されたかの理由も報道で上がってこないあたりも、事件とは別に行政構造の問題を感じさせる。

一般企業で殺人事件起だったら犯人が罵倒されたからやったというなら、なぜ罵倒されたかの理由までも報道されるはずなのだ。今回の場合、犯人がその理由を隠している気がしないがそこらが最初に書いた政指導の対象となる要素を含んでいてそれを公表できない状態というのがあるのかなあと。人が一人死んで真相の究明よりも組織の保身のほうが大事とかも普通に大きな組織や行政の組織ではありがちだったりするので、今後このような事件が起きないためにも現場指導などにおいてもいろんな矛盾要素は取り去らないとならないと思える。誉める教習所がもてはやされるが事故が起こってへっちゃらではダメだろう。

昔、神社の祭りで、神輿に乗ったやんちゃな子を人間関係の遠い年長のものが降りろと注意したところ、やんちゃな子が二人で話をつけると人のいないところで年長のものを殴ってしまって死亡事故になったことがある。たぶん、知り合い同士だったらこんなことにはならなかっただろう。守られて育った場合には、自分が強いと思った強いものには絶対の服従があったりするが、その反動で、浅い人間関係を軽く考えて強い人間関係が自分を守ってくれると勘違いしたりして見下したり暴走したりすることも多い。

ダメなことはダメで注意できる環境が現場にないと後で大きな問題になるのは、ダメでも注意できないような子供を育んでしまう家庭や社会環境があろうかと思う。子供と自分しか見えず外を軽く考えるような子供や大人を作ってしまうと軌道修正は、赤の他人がそれを覚悟して業務として責任被って行わないとならない。41歳の警官も被害者的な悲惨な事故だが逆に19歳の警官が拳銃自殺したなら加害者となる。社会に規律がなくなってしまって加害者も被害者になるも同じことやっても結果次第で紙一重、問題が起これば重箱の隅をつつくようなことばかりで、人間の暖かい目を持たないと地道にやってるものでも結果次第で力関係で犯罪者に追い込まれる。

普通で普通の幸せをつかめていたのが、外に世界に出て行くとダメ出しされる。理想と現実、正しいと思っている自分が否定され、変われないからそれを拒む回路が働いてしまう。警察官という理想と、警察官としての現実の最低限も受け入れられないギャップ。素直さがないと指導すら逆効果。プロセスでは解決できない問題もある。