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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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リネン日記
皆に嫌われる話
2018年04月23日
自分でやるとできることが増えるのではなくて減る可能性が高いがいろいろと深くできるという要素がある。いろんなことをやりたいなら外を飛び歩けば、それを実現してくれる現場に出会うことができるだろう。自分でやると壁にぶつかるが外に頼んだら越えられない壁も自分で乗り越えることができるのがミソ。自分ができずに外がその壁を乗り越えられるなら外に頼むのも一つの手だろう。

先日もお客様が起こしになられて、企画は具体的でつくるものも固まっているが、それを形にして行くことが難しい側面もあって、林与との出会いにつながったのではないかと思われるお話。デザインや企画は自由なのだが、最後形にするのが難しいことが多いのがテキスタイル。技術的な難しさじゃなくて、すごく簡単なものでも、試作の必要性や想定するロットや価格なども考えると、背負えないコストとなることになる。頭で考えるのと形にするのとではまったく異なる作業であることが見えてくる。

コストが合わないときには自分でやってみると自分の時間を使うことで満足なものにたどり着くことが多い。これが基本なのだがこれができるデザイナーや企画の人はほとんどいないのが現実で、コストの面も含めると実現が難しい企画が生まれてくることがほとんど。企画と生産のミスマッチが前提としてあって、企画する人が自分の企画で何人かの生活を支えて行く覚悟がないと企画として成り立たない企画。

ご飯を食べるようにものを生み出してゆかないと食べて行けないのであるが、簡単なものもつくれなくなっているのが現場の現実で、これを助ける力が必要である。助ける人のほうが本職よりも力がないと解決できないことも多い。織物の企画を現実的な規格に落とし込むことができる人間が織物工場の中にいるのかというと総合的な能力が必要なのでそれをできる人は毎回する苦労を背負い込んでいるのじゃないかと思う。

私も、この20年ほどにつくった織物の規格は、経本数、使った糸、打ち込み、など再現に必要な知識は、会社として記録するだけでなく、記憶していることがほとんどでこの布はなんですかと聞かれたら、糸や製造工程を話すことができる。自分が過去に作った生地を見たらそれが再現できるというのが基本でそれが基本の一度経験した力。覚えているからお金がもらえるわけでもないけど、一度やった仕事くらい覚えていないと、ゼロから新しい布をつくる話なんてつくれるかもしれないが満足なものがつくれる確立は低い。

自分がテキスタイルをデザインするときは、自分の基本からのものづくり。他の方が企画したテキスタイルを受けるときには、それを具体的な規格に落とし込んでいく、テキスタイルデザインではなく織物へ規格化作業、この作業をするときに、納期やコスト以外に、あとのもろもろの作業を想定して規格化する。

糸を買って染の指図、来た糸を割って、整経、パンチカードに穴を開けて、縦糸をつないで、横糸、織り出し。織機の調整、キバタ補修、加工出し、加工上りの検反、出荷。それに伴う、糸の在庫調べ、糸量計算、糸の染の指図書、整経記録、紋紙データ、整経機、タイイングマシーン、パンチングマシーン、織機の調整、製織作業、加工指図、出荷梱包、納品書、請求書、振込みなど事務作業も伴う。一つの先染めの布をつくるのにそれだけの作業。それがいくつも並行して動かす。

テキスタイルデザインも含めて一つの作業を、短時間でクリアして行かないとご飯を食べるようには布は生まれてこないのである。私が人がたくさん集まってテキスタイルを議論するのは無用とか、勉強するとかは無用と思うのはそこで、実際にやってみれば自分が頭でっかちに話していて目の前の一つの作業もギブアップでは、誰が作るのの話。現実も分からない状態の議論とか勉強とかは、現場で動けない人を増やすばかりで良いものも生まれてこない。良い布を生むためには目の前の作業に人の力を注ぎ込むことが大事でそれをできる人が必要。自分自身が働いて解決みたいのは、皆に、嫌われる話だろうけどなあ。ちゃんと働けばそれほど悪い業界でもないのにと思うが、なかなか普通の正しい布を一つつくるも難しいのが今日の現場。高度なもの手がけたらパンクするだけのこと。企画においては、自分の中でできることを実際にやって広げて行く、それが一番だろう。