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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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リネン日記
働く目線
2018年04月30日
よく議論になるのが、働く目線の問題で、経営者目線と労働者目線ではまったく逆のことが多い。その問題を生めるためには、仕事のことだけでなく、人生観が大きく影響をしているので、1日8時間の仕事の中で考え方を変えるとか、働く8時間だけ考えを変えるとかは難しいだろうなあと経験上思う。

仕事というのは夢(理想)のためとかいうと素敵に聞こえるが、夢(理想)から入るとうまく行かないことが多い。自分が仕事で夢(理想)の部分を追い求めればその人の夢の部分じゃない部分(現実)は他の人が解決しないと行けないし、完結しないことが多い。私自身、自分にとって夢の部分のプロジェクトも立ち上げるけども、そういうプロジェクトは普段の仕事よりも高度なことなので、普段のやれば良いだけの仕事が難しいとか出来ないようじゃあその世界にたどり着くのは難しいんじゃないかと思う。

織機に問題があれば一番に織機の下にもぐるのは自分だと決めていてそれを20年以上続けている。その1回織機の下にもぐるが難しい状態で一生の織物の仕事を終わることがほとんどだろう。工場の中で誰がやるから正しい織物がうまれてくるのであろうが、そういう人がいなくなれば、技術とか設備、そして人がいても織物の工場は残らないだろう。織物工場が続いているのはそういう人がいるから。そういう人が消えたときに織物工場は消えざるおえないのだと思う。

地元でも良いものづくりをされていた座布団工場があったけども、一人の年配の職人さんが辞められた時点で、他のものではできないことが多すぎたのか現場を閉じられてしまった。仕事があっても仕事ができない状況で、仕事を受けると仕事ができないので苦しくなる。繊維産業というのは人を大事にする産業?だったから、働いている人を大事にしたので次の人が居ないということも、戦後のひと世代が終わるとそこで終わりということにつながっているだろう。