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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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リネン日記
家具屋とボクシング
2018年08月09日
家具屋の父親はあっさりと娘に経営を譲ったがボクシングの会長は地位にすがった。自分自身が常に成り立たせることに苦労していればそれを他のものに譲り外から見守るはできた人間のすることだろう。あるスポーツの指導者が、ボランティアで教えていて、指導が厳しいからと親から文句をいわれてもう指導はしないことにしたという話もある。本気で考えている人というのはそんなものだろう。自分を犠牲にして他の人の子を厳しく指導して、厳しく出来ない親の代わりに育てているのに、それにまだ文句がでると、それは子供を指導する出なく、親を指導できなければ難しい問題で、子供の指導自体を諦める話になる。子供のためのスポーツなのに親が楽しむイベントみたいなところもあって、ボクシング界の縮図だよ。

指導して文句がでるようなら諦め、自分でやってみなさいでよいじゃないかと思う。それを年をとった連中が組織にはびこり自分たちが主役だ考え、自分たちの立場を優先して考えるようになると、終わりだろう。それは外から文句をいう子供の親と似ている。指導される側がいい加減ならいい加減な指導で丁度。指導される側が本気なら本気で指導でよいじゃないか。

昔、ある小学校にミシンを教えにいったときも、班に分かれてやったが、その班は女の子がミシンを準備して、準備が終わったとたん、遊んでいた男の子がそのミシンを取りあげる。本当なら、厳しく叱らないとならないけど、その学校の雰囲気が授業中遊んでいる子供を叱らない駄目なので、そこで叱ってもその学校の先生を叱らないといけない問題。その女の子は、チャイムが鳴ってからミシンで縫い始め、なんとか出来上がるように5分ほど私も必死になってやったけど。校長室に呼ばれて言われたのが、「ちゃんと時間は守ってもらわないと、子供たちがお腹を空かせて、父兄から苦情がくる」という指導を校長から受けた。

校長先生が、すべてを耐えてミシンを準備して文句もいわない女の子未満なのだ。学校といえども、そういう女の子がいないと授業もうまく回らない状況。校長じゃなく教頭先生が、女の子が準備しているときに来て、この子のお家は立派に教育をされていてという話があって、女性の教頭は分かっている人だなあと思ったが、この小学校がというよりも、社会も実際には、この小学校を縮図にしたようなところが多いので、せめて、子供たちが育つときにだけでもまともな環境を提供するのが大事ではないのかと思う。それを文句言いの親たちが台無しにしてしまう。

私も校長に文句をいうことはしない。真意を伝えてもこの校長にとっては自分の立場のほうが大事な人だろうから、反論もしない。校長室で何度も、「すいませんでした」と謝罪するだけ。私にとっては、校長に頭を下げても、その女の子を応援するほうが大事だし、私自身、まったくの善意で行っているので台無しにするのも駄目なことだろう。

最初に戻るが、家具屋の父親は新しい会社を立ち上げて娘に譲った会社を辞めた人を雇用しているとか。娘は金融とかコンサルティングに強いのだが、選んだのが身売り、自分じゃなく他の人に立ち直らせてもらうという話?娘に会社譲って、リストラされた社員まで雇って娘の片付け、立派な父親だと思うが、これもよい親の教育の一つだろう。同じようなことが京都の頒布カバン屋さんでもあったけど、その名前に奢って本質を忘れ儲けを考えると、それを買ってくれるお客様というのは本気な方が多いので看板商法は見捨てられてしまう。喧嘩売るのが看板商法側ということが多い。本来、ものづくり企業は、ものづくりに専念するべきなのだが、ものづくりばかりで情報発信しないと外の世界には伝わらないことも多く、私自身もこんな独りよがりな発信をしている。