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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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リネン日記
矛盾
2019年03月09日
日本における自動運転関連の法令は現行の法令や道路交通法との矛盾を多く含む。閣議決定で、「スマホしならら運転OK」みたいなのは、人が多く死んでいるのに、内閣の連中は、また死者を出すような安易な、原発は安全という神話以上に、日産の自動ブレーキが利かずで、追突したとか。緊急時に運転を代われれば事故を防げるとかそういうレベルの問題ではないのである。ブレーキが利かないのを人間が気がついても後の祭りなのである。

アメリカでも自動運転の走行実験で、自動運転では障害物を検地してまともに走らないから障害物センサーを切って、運転手が運転して自動運転の走行実績を上げているようなことも、死亡事故があって分かった。テスト運転手が規則に反してスマホをしていたとかが、自動車メーカーの責任か運転手の責任かの争点になっているようだが、同じようなことは本当に導入されて日本でも当たり前に起こりうる想定だろう。

自動運転にしてもどうして日本の道路交通法のような車を運転するということは拳銃の引き金に手を掛けているようなものとか指導しながら、死亡事故が起こりえるスマフォ読書ありで自動運転を導入させようとするのか、死亡事故が起こったら一生取り返しのつかないものを背負うことになる。メーカーの責任も問えないような閣議決定とかして、自動運転での事故の責任を取りたくない自動車メーカーが法律を作ってしまっているような状態なのであるが、これもアメリカが日本に自動運転車を売り込む外圧の一つだろう。

拳銃なんかの所持も許されるアメリカだと人が交通事故で死のうがしかたない事故としてすむけども、その流れを日本に持ち込むなら、事故の責任も軽くしておかないと事故が起きて、事故の起こりやすいような法令を作って事故が起きたら加害者の責任で、事故が起こりやすい法令で事故を誘導しているようなものなのに、加害者が責められるというのも国の責任も大きいだろう。薬害エイズなんかでも安全といいながら海外の血液製剤を導入して大問題、同じことが日本の国で自動運転でも現在進行形なのである。専門家は責任を取らないから別に間違っていてもノーリスクで役に付いて待遇を得ることが大事なのである。反対する専門家は基本雇われ難いのであり、正しい判断を専門家ができるとは思えない状況から始まる。