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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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リネン日記
こいのぼり
2019年04月06日
今日は、自治会のこいのぼり立てに朝から参加。同世代も4人ほど混じっていて久しぶりに出会って話。2歳上の大手織物メーカーの地元の工場に勤めている方が、その工場も人手不足で誰か整経の管理と作業をできる人がいないかという話なのだが、整経という作業は織りの現場よりも難しいところがあって、1回の失敗で何十万、何百万のお金と縦糸を用意するのに使った1ヶ月2ヶ月の時間が消えることになる。私の会社でも整経の作業というのは一番できる人が行う形。

その工場はたぶん産業用の資材織物なので合成繊維が主体であろうから、糸もほとんど切れることなく麻織物よりは整経もしやすいだろうけど、逆に合成繊維は高い基準が求められるので、織物経験者でも田舎だとそういうのに適材っぽい人は少ないだろう。未経験の人のほうが、今のものづくりの現場では役に立つことも多い。

検反機にしても、反物を確認するのには使えないとこまるし、使い方を覚えるのも2回3回反物を巻けば覚えることができる簡単な作業なのだが、経験者や職人と呼ばれる人ほどできないやらない分からないが多いもので、アルバイトに来た人に教えて1日目からできる作業が職人的だと逆にできないということが多い。

仕事というのはやろうと思えばどれだけでもあって仕事があるかないかはその人の能力次第だと思う。できなければ仕事はないのだし、できればどれだけでも仕事はある。

昔、糸の在庫を量るのを頼んだことがあるが、箱を開けて何本木管が入っていて木管1本が50gだから、その分と箱の重さ1kg程度を引いて正味の重量を調べて欲しいという2度3度説明をして、わかった、わかったと返事もらって頼んだのだが、結局、箱を量りに載せてそのままのグロスの重さを書いて終わりだったり。おっちゃんとおばちゃん二人で何日もやってもらって給料は払っても、仕事としてはまったく駄目なのである。何十年の経験者でもその人の経験というのはそんな感じの繰り返しでなかなか通用しないのである。

できる人というのは最初からできるし、出来ない人というのは何かできないやらない要素をもっているから、できるようになったとしても普通に食べて行けるスピードでできるとか正しくできるとかということはほとんどない。早くする方法を一生懸命説明しても屁理屈ばかりでやろうとしない。言われていることに従うと馬鹿にされているように思ってしまう壁があるのだろうと思ったりする。私の母親がそういう逆らいタイプでそういうタイプの人というのは素直に人のいうことを聞いて実行できない。意図はしていないのだろうけども、本能的に、できない、分からないというと相手が困ることで自分が上に立てるような錯覚を持っているのではないかとおもうほど、何でもできない、分からないという。田舎のおっちゃんおばちゃんにはそういうタイプの人が多いのも事実で、力関係に弱く、人間関係ばかり意識して仕事を仕事として見える人が少ないのである。