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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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リネン日記
隣組会
2019年08月25日
今日は隣組会で宿が当たっててうちで6軒が集まって案件の議論とあとの幕の内での食事。今日の隣組会でもこの隣組は将来さらに小さくなりそうであるというのが見えてしまっているが、まだまだ人の多い世代というのはそういう危機感すらなくそのままの感覚で生涯を終えることができる、みんなが集まればできるみたいな感覚が多い。

私も決して若くはないが、そういう多い世代の次の世代の人が非常に少ない世代。各学年に強い人が実質一人とか二人いるかいないかの学年、今の30歳下の若連中は、上の学年が一人、下の学年が3人。その子たちが集落に残る可能性も加味すると、各学年に一人いるかいないかが将来の集落の像。村の昔からの行事を引き継いでいける人がどれほどいるのかというといないに等しいと考えたほうが良い。新しく新しい区画に住む人たちは増えてくるが古い集落の考え方というのは外の世界の考え方と乖離が大きくなってしまって逆転するときがくるだろう。

私自身は、30年前の若連中の時でも古いことをやっているなあと思っていたので、今の時代にそういう古いものが一般的に評価されべきだとすることは難しいと思う。慣れてしまうとそれも違和感はなくなるのだが、初めの先入観というのは大事でそれが自然の感覚であるのが分かり、そういう先入観を持ちながらもそれをクリアするとかも大事には考えてやってきたが、それは誰もが乗り越えられるものではないし、積極的に努力しないとそういう違和感を乗り越えるのは難しいのもよくわかる。

私も古い繊維の業界にいて織物をしているので、私のやってる織物にしても手織りにしても、全体の世界から見るとごく一部の人間のやっている世界で、そういう世界を良いと思う人がいて成り立つ世界で、強制して続けていくようなものでもないだろう。20年、30年前の業界の人にしても今の時代では業界でも通用しないほどに、昔の分業の大量生産の時代とは異なり、人が少なく一つの仕事が小さくなり総合的な高い能力が求められる。

時間のあまりかからない部分を任せてくれという人は多いけど、時間のかかる手間な部分を引き受けられる人がいないのが、繊維業界の問題。一番多いのは、売るのを任せてくれみたいなエージェントの人たちだが、その人たちに売るのも私の仕事だったりする。作ったものすべてを売れるような人は自分以外にはいない。人に任せるとどうしてもそのあたり難しくなる。

織物の世界にいても、コンピュータが得意なことや英語が得意なことが有利に働いていてなんとか大手テキスタイルメーカーと同じ要素を持てて成り立っている部分もあって、それを抜きにしたら田舎の小さな機屋のオヤジだけで終わってしまって難しいだろう。バイタリティというのは販売にも役立つし、狭い世界を強いてくる人には、狭い世界じゃ駄目なんじゃないかとできることをマキシマイズするような方向にはっぱを掛ける。他の誰かに期待するより、自分がやればできることは自分でやって試してみるというのが私のやり方。