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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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リネン日記
飲み歩いたり集まって酒飲んでとか
2019年08月31日
私くらいの50代の世代というのは大学のときにもコンパとかでイッキ飲みとかが流行ったような時で、戦後の高度成長期が終わった後のバブル時代の最後のあたりを経験していて、みんなが集まって食べたり飲んだりというのが社会の義務的な部分であるみたいな経験をもっているので、義理ででも出席するというのあったりする。楽しむために参加するというよりも

半分が行事で半分が飲んで食べてみたいな、仕事なんかでも先代の世代は半分が仕事で半分が付き合いみたいな形。組合なんかに所属しても食べて飲んでが好きな人というのは、毎日、毎週ほど食べたり飲んだり集まってしていることなんかも多い。食べたり飲んだりを求心力として組織をまとめようとするやり方みたいなものが、義務的な要素では成り立たなくなってきている。本当にそういうのが好きなだけの人もいて、もてなすというよりも自分の趣味の飲んだり食べたりに付き合わさせるような人もある。

好き寄りでそういうのをやってるうちというのは良いのだが、組織が集まって何をするのかというとそれが主体になってしまうともう難しい話になるもので、パーティーみたいなものは企画したとしても、最初集まってあとは自由解散的にしておかないと、その次、その次まで考えている人たちに付き合っていると普通の物事すら成り立ちにくくなるものである。

田舎組織でよくあるのが、年上の者が年下の者に強制して酒を飲ませたりとか、酒なんてものはもてなす気持ちを失っては駄目で、俺の酒が飲めないというのかみたいな偉そうな奴は、結局、組織そのものの人間関係を駄目なものにしえつぃまうような力をもっている。結局、自分の言うことを聞けみたいな上下関係つくりたいような組織は自然崩壊に向かってしまう。そういうのなくても組織はちゃんと回らないようにしておかないといけない。打ち上げとかは本質的な行事やったあとの余力的なものでよいのである。

林与の先代も、村一番のアル中みたいなところがあったのでそれで勢いを持っていた時代には通用したが酒が仕事と関係ない時代になると考え方からして一番やっかいな人ということになってしまう。そういう人が中心でいた組織というのは次の時代には運営に苦労するものなのであって、そういうので組織をまとめるみたいなことは早めに脱却しないと、次の世代というのはピュアな部分だけ淡々とこなせるのが普通で、偉そうにしたい人間なんて必要はないのである。

この繊維の仕事にはじめ入ったときにも、一番厄介だったのは経験持った偉そうにしたい人たち仕事なのにもったいぶってできることもやらない。そういう人というのは仕事のできない素人以上にやっかいだから、素直に仕事する若い者にすぐに追い抜かれてゆく。そしてそういう厄介な人たちというのは自分たちの権利みたいなものに必死で、仕事のノウハウを次の世代に教えず隠すから存在自体が大きな問題だったりする。私からすると仕事でやってるなら共有しないといけないことなのに一生懸命隠して自分だけがその仕事を知っているみたいに持っていこうとする。そういう人というのは自分がいないと仕事ができないかのような感覚でいるから、仕事の問題点などでも指摘して気に入らないと仕事の邪魔し始めるから、早めに仕事から身を引いてもらうほうがよいだろう。

田舎組織だけでなく大きな日本を代表するような商社のような組織でも、イタリアの法人の社長した人が結局自分の立場を守るために、部下には仕事を教えないとか笑えるような話を言っていた。そんな人が10年やってたら会社潰れてしまうだろうと思うが、別にその人にとってはその人が社長でいることが大事なんだからほかの人に譲るくらいならつぶれたほうがよいんだろう。人間が小さすぎてその人自体の能力も大したこともなく、実際の貿易の実務的なことを聞いても知らないことが多すぎて、一方で、別の生地商社の人はまったく何もない地域で一人市場開拓してほんとうに力があって、アドバイザーとしても問題解決能力をもっておられて人もできている。仕事も人としても敵わない力をもっておられるのが分かる。繊維業界でも、次の世代は今の世代以上に強くないと残れないだろうが、現役世代でも仕事の邪魔したり次の世代を邪魔するような構造があることが多い、そういう人が古い体質でそもそも問題要素。