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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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リネン日記
仕事に対する割り切り
2019年11月21日
どんな仕事でも同じだなあと思えたりすることは多い、コンピュータのプログラミングの仕事も布を織る仕事も似たような要素はある。コンピュータのハードウェアをつくるのも同じで、同じような要素がある。

コンピュータプログラミングやコンピュータのハードウェアをつくる現場よりも、繊維関係の現場は間口が広く、仕事さえ責任感を持ってできる人なら、能力云々よりも仕事する気持ち次第のところ。本来はそういうあたりを大事にしないとと思うが、仕事といえばひとくくりに能力や生産性みたいな話になる。

私はまったくそういうのと違う割り切らないタイプなので、繊維だけでなく色んな仕事に向いているんだろうと思う。そういう意味では仕事だから最後正しいものができないとと思う気持ちは強い。問題があっても問題解決に時間とか集中力とかは最大限に使う。時間があれば何がしたいかというと仕事を落ち着いてできればなあと思うことが多い。

入って半年の女の子が私をいろいろと手伝ってくれ、私がやっていることの8割を補完してくれる。本来だと経験の長い人間がそういうのできないといけないのだろうけど、経験者というのはどうしてもできることの範囲が狭いことのほうが多いし、できる仕事でもやりたがらないが多かったりするものである。何十年やっていても面倒を見てもらう側というのは他の人の面倒を見る側になることはなかなか難しい。

シャトルの経験のある何十年の経験者でもシャトルは怖いわあで、結局、織物が初めての素人が1週間、2週間で何十年の経験者を超えて、当たり前にシャトル織機を動かすとかが解決方法。日本の織物業界でほんとうによくありがちな話。経験者が簡単な仕事も難しいような対応では仕事を用意することも難しいのであるが、それでいて自分がいなかったら仕事が成り立たないと思っていたりするのも直すのが難しいあたり。結局、子供のころから知っている親戚のおっちゃんだったが、できる仕事が本当に少なく、会社に来ても3分の2の時間外でタバコ吸っていて、布をたたむ仕事も嫌がるので、やめてもらうことになってしまうのが非常に残念ではあったが仕方ない。

考え方の違いや、性格や人生観だろうから、仕事に向かない人が仕事しようとしてもそれは成り立たないのが普通。唯一方法があるとしたら、それはその人にプレッシャーが掛かるような状況をつくること、でも、そこまでして本人が嫌がる仕事をしてもらうことはしたくない。そういうのも、林与の酒を飲むのが仕事みたいな先代の大きな失敗の一つである。林与の別れで、織物工場やってた80超えたおっちゃんに対しても、私が情けを掛けて対応もしているのに、勘違いして食い物にしようとするような横柄な態度に、私が怒鳴ってたしなめる話。もっと、早くそういう駄目な年配者たちのどうしようもないを軌道修正するように、周りももちあげてばかりいないでいわないと勘違いな横柄さが加速する。

普通は年寄り相手に若者は出てゆくのだろうけど、その程度のどうしようもないに負けていては、繊維の仕事なんてできないだろうから、年配者であろうが、人付き合いで人として歪んで横柄になればそれは駄目だときっぱりといったり、見切りを付けないとアカンだろうなあと思う。最後そういう人の問題を片付けるのは大変なことだから。林与の先代でも酒に関しては一番のあかんたれだったが、亡くなってようやく集落でも酒の付き合いみたいなのが変わったと思う。先日の文化祭でもビールなど振る舞われなくなった。先代がいたらビール飲んで大人が自分たちが楽しむのに一生懸命で、それが問題だとは思わないだろう。

お酒を一滴も飲めないタイプの堅物のおっちゃんを、自分の妹との結婚を期に、1升瓶を30分で飲んでしまう人に変えてしまったのが林与の先代。おばちゃんも、おっちゃんの息子さんも迷惑していると思う。林与にしてもそういうのでは将来がないのも当たり前、先代は本当に酒に弱く、周りまでも駄目にしてしまった。私の住んでいる東円堂東が高齢化率が45%とか、特に私のいる2区は、80%とか超えているだろう。先代のような毒な人間がいると周りまでも毒されて過疎化するのもあたりまえで、その先代の残した問題も大きすぎて普通の人だと逃げ出す話。集落の他のだれも解決できないようなありえない問題を解決してゆくのも私の仕事の一つで、だから、私は誰と話ししてもそれ以上のものを乗り越えて生きているので、文句も言わないでほしいと思う。

東円堂のような農村で与一じいさんもすごく厳しい人で、上着の内ポケットからはウィスキーのボトルが出てくるようなアル中だったという話だが、それでも村中の家に近江上布を織る仕事で、当時の子供達が生活に困ることもなく、大学まで行けるような環境を東円堂にもたらし、60代、70代の人たちは、公務員になったり、大手企業の管理職だったりと、林与の織物が携わった人々にチャンスをもたらし、東円堂は恵まれた村で、祭りとかも楽しめる余裕があった。

林与が今も集落の年配の人と話すとヨジヨモンさんの家の方かといわれるのもそのあたり、先代で風向きが変わって行きはよいよい帰りは怖い繊維の世界。先代も1970年代の空前の麻ブームをつくったが、その後はどんどんと小さくなって、すべてが上手く行かなくなる話で、最後は昔のよい時代の感覚で仕事すれば1回何100万とか消えてゆく話。人付き合いを重んじる得意先が何百万考えて仕事くれても、それが一瞬で消えてしまうような経営。自分が手を動かして仕事もしないのが一番ダメで、私が先代の問題を解決するために寝ないで仕事していても、酒のんでテレビ見ながらワシがするのか?に呆れ、何十年の経験があっても小学生や中学生のほうが苦労して生きているような、偉そうに毒だけバラまく良い時代のダメ人間の典型。

行事なんかでも酒を飲んでもらって若いものをもてなすじゃなく、酒のまして潰せみたいな流れには、本来飲めない体質の私が絶対に逃げないで受けて立ってきた。私は若いものに酒を勧めても強制したりはしない。行事なんかでも同じで強制してまでするほどの行事があるのかという問題。行事にしてもみんなが楽しめなければとか意義を感じられなければあえてやる意味も続ける意味もないだろう。酒飲みで商売を傾けた先代や水商売でもない手間隙を大事にしないと行けない繊維業界が飲み食いに明け暮れ、次の世代にその解決を投げるのは日本のだらしない行政と同じで、小学生や中学生のほうが、偉そうにしている大人よりもまともに生きているのが今の日本。

酒なんて楽しく飲まなければ毒だというだけのこと。酒のんで見下してとか説教なんてやるやつはそういう人だけで飲んでればよいだろう、説教しているやつが説教されないとならない人間だったりすることが私の経験上ほとんど。酒を飲むことのすべてが悪い訳でもなく相手をもてなす気持ちをもって酒を勧めるべきだろうが、酒癖の悪い輩は酒を変な風に使ってしまう。酒飲みや酒をふるまうものがなぜ評価されたかというと、酒というものは高価なもので飲みたくても飲めない人も多かったというあたり、身銭を捨てて人をもてなすからそういう人間が評価されたのである。酒を自由に飲める人というのはしっかりと成功した人だったというあたり。酒にしても安くなってそれをたくさん飲めるというのを自慢したところで、目も当てられない自滅タイプがほとんど、そういう自滅タイプが仲間を増やして勢いづくと見捨てたほうがよい話。大手SPAは安物だとバカにされながらも、そういうところがまともだから酒におぼれたり傲慢だったりの爺ども10年、20年で超えていった。

一番勢いがあったものたちが、流れが変われば、いつのまにか一番疎まれてしまうものたちになってしまうのも、その流れがみえないとかついてゆけないとか我流だから。我流は我流で自分たちで貫いて成り立たせて解決してゆければよいのだが、自分がやらず人にやらせるのが仕事みたいな生き方だと手本にもならず疎まれるだけの存在。若い学生の人とかでも自分の思っていることを人にやってもらうというような立場にあこがれていることが多いのと同じで、年取った人間が若い学生のような甘い考えでは日本社会の年功序列的な考えに甘えて若い人の手本にもならない経験者が溢れたりする。私は剣道やってたので、50歳60歳の人でも仕事終わってから子供たちに剣道を教え、しかも中学生や高校生にも精神面、体力面で負けない手本となるような先生方に恵まれて育った。自分が社会に出た時に、そういう方というのは他の面倒くさがって逃げたりばかりしている大人の人と比べると卓越していて、本当に立派な先生方だったんだなあと思う。

私も仕事に携わったときに、自分から率先して仕事をどんどんと進めて行ける方に仕事を自分がやってゆく姿勢を教えてもらった。一緒に仕事していて仕事というのはこういう風にするのだなあというのを一緒に仕事しているだけで身につく、多くの人が仕事が面倒だとか嫌だとか分からないみたいなことばかりだったのに、仕事に対する姿勢というより人生観としてやはり人が出来ておらられたんだろうと思う。作業を率先して自分からどんどんとできる人というのは本当に稀な人でまさに仕事ができる人。