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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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リネン日記
ものづくりのスタイル
2019年12月02日
林与のものづくりスタイルはこの10年ほどで昔に戻した感じ。先代の時のものづくりというのは、設備投資してとか、外の人にやってもらうタイプの経営スタイル。先代のころというのは、機をつくるのも、アンダーモーションの掃除なんか、外の人にやってもらうみたいな感じだった。結局、そういうのが内部でできるということが技術力があるとか仕事の能力が高いということ。そういうできることも自分たちでやらないと、仕事の中の機械の使い方とかもわからないが増えてそのままだったりもする。

タイイングマシーンも昔から3台あったけども、そのうち1台は壊れて使えないという話だったが、ただ単につなぐモードレバーの位置が畔なしのモードになっていたというだけのこと。横糸が織機の途中で切れた場合に1本で織れてしまうとかもこの織機は直らないという話だったが、それも単にセンサーの位置が正しくないだけのことで、織機は正しいがセンサーの位置を変えてしまって横糸切れのタイミングがうまくとれていないだけのこと。横糸がループになって飛び出す問題も、まだ出るけどもこんなもんでどうというが、それは単にレピアオープナーの位置が正しくなく、捨て耳のカラミソウコウにしっかりと絡んでいなくて、糸がカラミソウコウに絡むようにレピアオープナーの位置を調節するだけのこと。

こういうのもメーカーがあって聞くことができれば簡単に解決するのだろうけども、田舎のおっちゃんレベルではなかなか難しいレベル。正しい解決方法を説明すると、それを理解するというよりも自分のほうが上だという感覚が強すぎて、理解しようとしない問題もある。説明する人がメーカーの人だとかだと一生懸命に聞くだろうが、田舎の年寄りが年下のいうことを聞くことはそれが正しいことであっても難しいのである。全員がそういうわけではなく、きつい老眼鏡をかけて年取った勘一じいさんはチーズワインダーで糸を割ったり糸の整理くらいだったけども、上下関係が最初から私のほうが上であるという組織というものを理解していた人だった。

仕事なんて、正しくやらないとやったらマイナスがほとんど。正しい布を作れたとしてもそれが売れなかったらマイナスで終わる。先代なんかはどんぶり勘定スタイルだったので、仕事してお金が無くなるのパターンも多かった。外では働けないタイプが、商売やっても無理なタイプ。自分が作業するとか布を売るというあたりが希薄だったのが一番の問題だったんだろうなあと思う。こういう経験があるから、デザインするというのは何なのか、企画するという問題も深く考える。

デザインして、サンプル生地を展示会に掛けて売れたらその分の服をつくるための布をつくるというスタイルが主流ではあるけどもその場合のコストというのは非常に高くなってしまう。生地の値段というよりもそういうスタイルで生地の生産を回すのを支えてゆくコストが生地の値段となるのである。実生産のボリュームが少なくなってしまったときには成り立ちにくいモデルなのである。生地の需要を生んでゆくというのも企画の一つで、謳いを込めた生地を作ってその謳いをアピールしながら売ってゆく。地道にロングランで売ってゆくには理想的な形だろうと思える。私の作ったシリーズとしては、アイリッシュリネンシリーズ、キッチンクロスHDシリーズ、シャトル織リネン定番シリーズ、藍染やインディゴ染シリーズ、リネンの超細番手シリーズ、細番手柔らかリネンストール、近江上布柄プリントシリーズなど。外の流行を取り入れてつくったものではなくて、自分が作りたいと考えてつくったシリーズである。だれに売ってもらうでなく自分で売ってゆくことを基本にした麻布なので作り手主体のものづくり。