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リネンや麻を織る日々をつづっています。
リネン日記
PTJ
2019年12月26日
ゴールデンウィーク明けまでには今の受けている仕事を織り終えて、久しぶりの展示会の計画。2年ぶりのPTJに出展を計画。出展書類の提出もスタッフの子が黙々と手伝ってくれて、手伝ってもらうなかでいろいろと素材のことを覚えてもらうのにもつながる。とりあえず、審査書類の提出は終わって出展審査を待つような状況にはもっていけた。

今回は、サステイナブルがキーワードとなっている。ファッション業界はどこもがその流れに動いているようである。林与のものづくりも、原料が麻であるということを考えれば、ほとんど100%サステイナブルなものづくり。私自身は、あまりサステイナブルにこだわらず、自分のやってきた麻織物に集中していればよいだけのことだろう。

私がサステイナブルの概念で必要だと思うことは、「他の人に頼むでなく、自分が作業すること」。サステイナブルを提案している人が、自分自身、作業を面倒がって、他の人にサステイナブルなことを目指しなさいみたいなのは、サステイナブル大先生で、児童労働の子供のほうがサステイナブルを受け止めていると思えるパラドックス。

例えば、農家の子供が家の農業の仕事を子供の時から見てやってなければ、なかなか机で勉強した人間というのは、目の前の一つの作業も頭でっかちで腰が重すぎて役にも立たない。結局、若いころから目の前のことを積極的にできる人間に育っていることがあとあと役に立つことが多い。スポーツなんかは、美化されるが児童労働の何倍もきつい試練に耐えなければ上位入賞なんて難しい、まさに実力主義の世界。仕事と似たようなところがあって頭が良くやりたくないからできないほうにもっていくタイプの人よりも、自分が動いて解決できる人のほうが何倍も価値がある。

新興国のある織物の村にいったときに、大人が井戸端会議ばかりで子供たちが家の機を動かしている。自分の子供がテストで分からないと親が不正に答えを教えようとするとか、子供のほうが真面目で大人のほうが難しい。これと同じようなことが日本の社会でも多く見られる。子供は夜遅くまで塾やスポーツ、大人はテレビみてが普通の生活で、子供たちというのは大変だなあと思う。毎日、1km、2kmを歩いて学校まで行ったりだが、大人は車で解決。その分、大人も苦労をしないと、大人が動けるのに子供たちに自分の面倒を見てもらうような年金の制度を作り上げて、それが普通になっては途上国の児童労働モデルと変わらんのじゃないのか。

働かない人から見ると働くことは悪いことに思えるかもしれないけども、働いている人というのは働くことが人々の生活を支えているだけのことで、働かない人だらけになったときには、海外から輸入して、赤字が増えるのは当たり前、それを政治や戦争でリセットするようなことしかできなくなるだろう。自分が働いて生み出して成り立たせるようなものを基本に置かないと、正しいという言葉さえも何が正しいのか分からなくなる。