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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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リネン日記
農業だけの貧しい村
2020年02月01日
明治時代に、農村としてはそれなりに恵まれた土地だったけども、現金収入のない村人たちに現金収入をもたらしたのは織物業。與次右衛門爺さんは、若いころから親父が酒飲みで苦労をしていた。今もその時の酒代のために親である勘平爺さんが林与の家の土地を担保に裏の小さな家の人にお金を借りた借用書が残っていたりするほど。まさに毒親をもった與次右衛門爺さんだが、農家ができることといえば、農家の家の仕事としてやっていた機織りを本格的な商売とすること。

明治のころの見本帳というのはシンプルなものが多く、柄も素朴で、初歩的なもの。それを発展させたのが、その息子の与一爺さんで、絵絣を巧みに発展させ、絣業者としては産地で一番くらいの規模で近江本麻絣上布で名を轟かせた。豊国村が豊かな村であったのも織物があったから。本格的にやっている出機さんは、当時の大学の初任給以上のものを工賃としてもらうことができた。学歴よりも実力があればの世界である。

今の時代に当時のようなものを作ることができるのかというとそれは難しい話で、人としての生き方が厳しかった時代だからこそできたものづくり、今のような生活スタイルではそういうものをつくることは難しいと思う。近江上布の1反を織るのに一か月とか言われるが、当時の人は、一晩で一反を織りあげた世界である。それほど仕事があれば幸せだった時代。今は、仕事が苦痛でしかないほど豊かな暮らし。仕事があってもなかなか仕事ができる人がいないというのも織物業界では多く聞く話だが、織物の差は人の差とか、織物の違いは、人の人生観の違いみたいなところ。同じものでも作る人によって、上等品にもなれば、材料費にもならないマイナスのものにもなる。

同じ時間仕事しても、プラスとマイナスの世界が、今の織物の世界にもあって売れるものができてようやく成り立つ世界で、だらしなく売れないものつくってしまえばその分マイナス。最初からできる人は最初からできるし、最初から駄目な人は最後まで駄目みたいなところがあるのが織物の世界。仕事というのはやっているから上達するとかではなく、慣れてしまった後は緊張感がなくなり逆にだらしなくなったり落ちていく人のほうが多い。織物の世界でも20代が一番真面目に仕事できて、30代になるとだらしなさが出て、40歳すぎるとなかなか仕事が難しくなり、50代だと20代の半分くらい、60代になると3分の1くらいしか仕事ができなくなるものである。

もちろん、例外的な人もいて、それなりに緊張感をもって仕事している人というのは時間と関係なく仕事を仕事として正しくでき答えを出せるタイプの人で、時間で働いている人を支えていけるような人だったりする。1個いくらの世界を正しく成り立たせることができるほどの力がある人。けど、今、そういう人ってどれほどいるんだろうかと思う。私自身でも精いっぱいやってても成り立たせるのは難しいなあと思うことも多く、週40時間程度の仕事で食べていくレベルなんて逆に多く人を抱えれば余計に難しい話なのである。これは自分の会社というだけでなく、繊維業界全体として人を多く抱えすぎで指図する人は多くても実際に仕事をできる人は限られている問題があって、作業している人の手で生まれてくるものにすべての人の生活が懸かってしまうだけでなくその家族の生活までもが掛かってくる。

あるお店でたくさん店員さんがいるが、その店員さんの一人がお店に置く商品を縫製できる場所教えてくださいと私に聞くが、私の答えは、家に帰って1日10枚でも自分で縫ったら簡単にできるよ、という答え。私もミシンはほとんど触らないけど、米原のイベントでの60cm角のキッチンクロスでも、1時間に裁断から初めて縫製まで5枚くらいは縫う。布が豊富にあふれているお店で、店員である自分がそういうのやると、売るものにも自信も出てくるし愛着も湧いてくる。繊維の世界が好きな人だとそういうの普通なのだがそれができないとなると向いているのか向いていないのかの存在。そして向いている人だけがやはり残れる世界なのである。店員さんなんてお客さんがいない時間ができればミシンで縫えばよいだけのことで、それでこそお店の専門的な価値も上がるというものだろう。

これと同じことが学生レベルのものづくりの話。学生さんとお話しするときに将来の夢みたいなものを聞くとこんなことをしたいというイメージがあるし、なんでもやりますみたいな話になるけど、実際に、その一つ一つのことを目の前にすると、私がやるの?みたいなタイプの人が多い。やってないからなんでもできるとかやりますがいえるけども、やってみるとなにもやらないタイプ。大人になったときに自分が解決できることは自分の力で解決してゆかないと他に解決を求めていても結局は難しく成り立たない話も多い。他に縫製を出すとすれば縫製工場で働く一人の作業工賃や、縫製工場の間接費用、運送費、梱包時間、伝票関係のことすべて時間的なコストとして商品の値段として跳ね返る。それを自分が作業して捻出してゆくか。自分がすると面倒な感覚で他の人に頼んでいるとどうしてもコストが合わない問題が生じてくる。

働き始めた若い時からすでに自分が解決するというのができないままのスタイルが身について、人に解決してもらうので食べていくスタイル。繊維業界には本当にそういう人は多いもので、実際にものを作る部分をこなせる人の比率は非常に低いのが日本の繊維業界の特徴の一つ、そういうところから解決してゆかないと難しい問題である。ある方の紹介があって教えてあげてほしいという話、私自身は自分もその分野はほとんど仕事やったことがないけど1回でも本気でやろうとしたからそのものづくりのあらすじくらいは説明できるが、自分が仕事としてするのに教えてもらえるのが当たり前で聞くばかりの人、この人では仕事は無理で触らないほうが無難だと思う。ダメ元での試作一つに自分の一か月の給料くらい捨てられるのかという問題。知識から足りず、本人が経験積むために費用が掛かる話、それで食べていこうと仕事して、その人がその人自身の20万、30万ほどの儲け考えて、100万、200万の仕事しようとすると、本生産の作り直しなどになると300万、400万以上に失う可能性のほうが高いだろう。作り直しても売れない販売断念のケースもある。一つの仕事に対してだけじゃなく総じてそういうスタンスでの仕事なんだろうと思う。本当にやりたい人というのは直線的にものごとを進めることができるが、見て回るだけで自分自身の行動を伴わない人も多い。売れる顔にするにはそれなりにやり直しなんかも必要で一発勝負でできる人とできない人とではプロとして残っていけるか残っていけないかくらいの差がある。費用が2倍掛かることをやっても商売として成り立たせるは難しいから、結局、一回勝負でやれる人がコスト面でも生き残れる話。繊維業界全体が人は多いが生き残りにくい体質になってしまってる。

繊維業界というのはかつてないほどに本格的な繊維不況の到来、特にアパレル業界は不況そのもので年10%規模で縮小しているところも多い。アパレル売り場の大きい百貨店などは店舗閉鎖も多い。アパレルさんとのお付き合いも断っているわけではないけども比率を減らして、林与に合った会社さんとの取り組みに変えてきたこともあり、仕事は手も足りず忙しくで暇ないことがありがたい。昔の良い時代の仕事のレベルだと今の時代にはまったく通用しないというのを割り切ってるから、分からないできないで終わらないで売れるとこまで、通用するところまでやれば成り立つという世界。まだ、やりたいことも山積みだがとりあえずは外のお客様の仕事を優先して自分のやりたいことは後回し。いろんな意味で余力ができたときに自分のやりたいことをやってみる程度が一番よいのではないだろうと思う。

ひと世代前の人が使ってきた織機をみると、なぜ織るのに苦労されていたかがよくわかる。ここをこうすれば簡単に問題がなくなるのにとか、なんでどの台も大事なものを外したり壊してしまっているんだろうとか、問題が起こるのも当たり前も見えてくる。今の時代の糸は本当に織れない糸であることも多いのでそういう糸を織ることで一から織機を調整しなおすことで見えてくることも多いのである。まったく織れないが、織れるようになる瞬間というのがあって、それは意図的に生み出さないと訪れない瞬間であったりする。また、傷になった反物を自分で縫って直すとか経験をしないとなかなか織るはできても正しく織るには到達しないことも多い。今は、もうそれで食べて行ける時代ではなくなってしまった。

織物の真ん中にループができる問題なんかも、カラミのところまで糸が届いていないだけという話で、レピアオープナーの位置を右にずらすだけで解決する問題なのだが、何十年織機を調節してきた人でも原因が分からず、説明もしてレピアオープナーを右にずらすだけのことで、位置を動かしてくださいというけど、どうするの?という質問、何十年もレピアオープナーを触ってきた人でも初心者と変わらないほどの呆けたような話のことも多い。理解はしにくい問題だけども、そういうのは基本の基本の話。それがわからないと問題のないところを触って織機のバランスを崩してもうこれ以上は調節できないからこの織物はループが出るで終わり。

別の出機さんの工場に行って、織の経験もない私が、その問題を仕事始めて半年くらいの時に織機もほとんど触ったこともないのにそのとき織機の動きをはじめて見てループの原因を説明もするが、経験者程メンツが立ってしまって初心者にいうことなど聞きもしない。機械屋さんがくると私のいうのと同じ結論で、耳のカラミソウコウがなぜ絡む必要があるのかという基本的な問題に過ぎない。経験者の問題を抱えながら次の世代というのは、気を使って手加減しながら仕事と接していかないとならないのが疲れる業界ではある。田舎独特の年功序列的な偉そうなひとが多く、気の抜けたようなところがあって、普通新しい人がやっていけるような業界ではない。織機の問題を抱えていても解決してもその原因を聞いても隠そうとするのも、力のない人にありがちなパターンで、原因をはぐらかす。教えることで自分の仕事がなくなるという心理が働くんだろう繊維業界にはそういう人というのは多い。

大したこともない経験だったりする。同じことを日本で最大規模の大手の商社のイタリアの社長をされた方がいってられたが保身のサラリーマンそのもの。部下には仕事をおしえないと、その理由は仕事を取られるから。大手企業の役員クラスがもうサラリーマンだったりで、肩書だけで生きているみたいなところ。繊維業界のアドバイザーとして動かれていたがまあ肩書だけの人で仕事ができないタイプの一人。本当に仕事を自分でやってきた人というのは、武藤さんという方、自分でヨーロッパの市場を開拓されて自分の人脈を日本の繊維業界のために惜しみなく放出。あの方に及ぶ方はおられないと思う。企業自体は業績は別として評判がよくないところがあり損や迷惑を仕入れ先に被せる形が多く、武藤さんに続くみたいな人がその企業にも増えてほしいと思う。勝ち馬に乗りがちな、ある繊維の業界紙が持ち上げて、日本の地道な繊維業界を逆につぶしてしまうのは駄目だろう。まあ、林与自身、そんな業界紙とは縁を切ったような形でその業界紙を支えるのも難しいレベル。広告出したら記事にしますよみたいな、ゼニゲバな業界紙で、戦争でもうけるゼニゲバな武器産業みたいな商売スタイル。

その新聞社の記者の人にも、その新聞社の商売スタイル改めないとダメですよと、繊維のゼニゲバニュース発信を叩く側。そういうのがまともな繊維業界をつぶす活力になってしまう。広告目的で金取るための取材なら日本の繊維業界を正すためにも来てほしくもない。対照的なのが業界で定評のある業界紙。広告すら一度も出したこともないけど、林与の本気なスタイルを大事に思ってくださって、本当に小さな林与を心意気買って大きな記事にしようと持ち上げてくださり。繊維業界のまともじゃないのと、まともな部分感じるのもそのあたり。そういう業界紙は記事の信ぴょう性で成り立つ。繊維の業界紙でも両極に分かれるのもその辺り。マイナスな業界紙に広告出している繊維企業さんに警笛を鳴らすべきなのかとも思える。その業界紙もkさんという真摯な記者の方がおられて、その方の記事にしたいという意気込み買ったのが間違いだったのかと思うほどゼニゲバなメディアなのを知って、林与が取材してもらうことすらに今は難色を示す。繊維業界を食いつぶすメディアとして業界内に警告を鳴らすことも必要だろう。広告出しておられる企業さんが逆に哀れで気の毒なんだわ。広告出したら記事にしますがという話ばかりのゼニゲバな記者の業界紙。取材に時間使うすらももったいない話。その繊維の業界紙の記者の目にはドルマークが書いてあるのかと思えるほど。そういうゼニゲバで取材してたら、地道なところからは相手にもされなくなりますよという記者にも忠告。