2020年05月13日
京都の問屋さんというのは、バブルのころの高校生の頃には一番元気だった業界の一つだったと思う。繊維の製造関係も昔からやっている地域の代表する家が多かったので、そういう家というのは土地などをたくさん持っていることもあって、戦後の土地神話とともに、借金してでも土地や株式を買えば寝てるだけで資産が増えていく時代で、国民が何十倍も裕福で製造業もつくれば売れた時代だったのである。経営者たちも勘違いした人が多く、繊維関係も成金的な考えに傾いてしまったのがその時代。繊維関係というのはブランド志向が強い業種なので、特にバブル向きの業種であったりする。ブランドがブランドラベルを付けるだけで何倍にも化けたのである。働くよりも借金して土地や株に投資すれば儲かった時代だったのである。
日本のものづくりではそういうことはありえなかったのだが、戦後の高度成長を伴ったひと世代というのはそういう時代を過ごしたがために、そのあとの厳しい時代には国際競争のなか働くことの現実を受け入れることも難しい。考え方が変われなければ続けていくことすらも難しいが、失敗に気づかなかった成金タイプほど深い痛手を背負うことになる。高度成長というのは投機的な成長の部分が大きく、その時代に偉そうにしていた人ほど働けるタイプの経営者は少ないのである。伝統的な繊維業界というのはそういう経営者たちを背負ってしまっていることが多い。それゆえに、そういう本質がみえない経営に陥った繊維産業が、経験も浅いファストブランドに足元をさらわれていったのである。
成り上がってしまって働けなくなった日本の人々を相手にするのではなく、生活するのも苦しく働きたい仕事が欲しい海外の素人のものづくりのほうが、ヨーイドンのスタートしたときに、目の前の一つのものごとでも簡単にできたりするものである。経験者というのはなり上がってしまっているんで高度成長期の村社会的モデルから抜け出せない人が多い。そういう人は目の前に仕事があってできることでもなかなか素直には動けないのである。結局、簡単なこともやらない経験が長くなり新しいものもつくることが難しくなってくる。作れば売れる時代が終わったときに創意工夫でできないことをできるようになる自力みたいなものが必要なのだが、そういうタイプの人は村社会的な構造では少ない。
問屋さん商売が難しいのは、簡単にできることでも簡単にやろうとせずにこねくり回してしまうこと。別の言い方をすれば仕事に覚悟がないからみたいな状態。おんぶにだっこしてもらうというよりは、おんぶにだっこしないといけないことが多くなってしまう。旧来の問屋型モデルではやると成り立たなくなるのは、「そうは問屋が卸さない」とかバカなこといってる連中がいたりするがその感覚が蔓延し過ぎて、観光気分で飛び歩いているばっかで、もうちょっと働けよと思うような問屋が増えすぎた。出来上がった荷物くらい自分の会社で受けたらどうなのとか思うのもそのあたりで、楽に仕事しようとする問屋はその存在自体が無駄だったりする。
取引に関しても、信用を調査しないといけないのは取引先としての問屋であることも多い。支払いがちゃんとできるのかとか、問屋業務をちゃんとできるのかとか、注文したものを正しく買えるのかとか。マイルールばっかりで、無理はさせるが自分が無理できない問屋が多いものである。年商何百億円のところほど、発注して作ったものを買わないとかやってしまうから、日本の問屋業界というのはもう無茶苦茶な状態で、それがへっちゃらなあたりがもう日本の繊維業界になってしまっている。問屋の間に商社がもう一つ必要な状態になってしまっている。繊維の業界でしか生きてゆけない人が問屋をやるとかいうのも無理な話で、もっと広い世界をしらないと人と人の間に入るのも難しい話なんじゃないのかと思うほど、新しいモノづくりとマイルールに縛られるのは相反する概念が多い。新しいモノづくりなんてやってみないとうまく行くかどうかも分からないのに会議に時間取っていてもそもそも無駄でそれに合わせているとうまくできる確率がどんどんと低くなる。実際の行動がどれだけ重要かというところに気が付いていないと、完成度の高いものができるのが偶然でしかなくなる。