2020年06月10日
藤井聡太7段がタイトル戦の第一局で勝利。甘く見えるような手ほど毒饅頭でそれを食べてしまうともう後がなくなる。正確な読みで毒饅頭合戦を制した感がある。一番若い棋士が、一番強いと認めるような状況が今の将棋界。将棋界というのは、階級社会でタイトルホルダーなどには有利にできていて挑戦者には不利にできていて、普通は覆しにくいものであるが、たぶん、藤井聡太の師匠の人格が藤井聡太をつぶさないタイプなんだろうと思う。たとえば、藤井聡太7段の将棋を一番嫌いだと言ってたタイトルホルダーもいたりした。そういう人の弟子になってしまったらまず人間関係の面で苦しむことになり、また将棋のスタイルもすべての可能性を読み切ってストーリーを作る形ではなくなるだろう。普通の棋士だと先輩棋士からからかわれておちょくられて凡なることを要求されるのだろうが、師匠に暖かく見守られて毒されることもなく手本のように育った感じ。
将棋は強くても伸びる人間をつぶす方法はいくらでもあるから、師匠や先輩が、こいつを今つぶしておかないとと思えば子弟制度の中に縛られていると逃げ道がないので、人間関係的な重荷を強いることでつぶされてしまうことは多いものである。師匠の杉本8段は将棋はそれほど強いという印象がなかったが人柄がすごく良いのだろうと思う。そういう中では叱らずしてもまっすぐとした人間が育つ。村社会的な社会では、どうしても、有力者を中心とした序列社会でその有力者が中心であることが前提となって物事が進むように組み立てられる。将棋界の有力者といえば羽生永世7冠なのだけども、将棋のタイトルに固執するようなこともなく、普通に次の世代に譲れるようなところがあって、若くして年配者たちを超えてきた人生をもった人だから、若手には同じようなことを期待するのだろうと思う。
藤井聡太7段が登場する前の将棋界は瀕死の状態であったけども、役員たちが牛耳ってしまうような人間模様がどろどろとした将棋界ではなく、健全とした将棋界として再生がなされたと思う。人というのはどうしても自分の力が落ちてくると、保身的な策に陥りがちで体制をつくって居残ろうとするものである。繊維業界のしきたりみたいなものも日本的な経営というのもそういうところが大きいもので、よく企業なんかでもある、会長とか相談役とかも、居座るためなら無意味だろうし、次を育むためなら若者たちと一緒に黙々と働いてできる手本を見せればよい。それが一番の教育だろうと思う。
展示会などで、中国の繊維企業の中の人々と話をするとすごくものづくりに前向きで自分たちの中に答えを持っているような印象を受ける。日本の繊維業界の人と話をしていると一緒に仕事しているのに一方的なマイルールで答えを求められることが多いなあと思う。そうやって一方的なマイルールでやっていることが力があって優良な企業イメージであるような錯覚があるのだろうけど、そういうマイルールを持っているところほど、マイルールが通用しなくなった時には中から崩壊してゆくものだったりする。勢いのある企業というのはマイルールタイプになりがちだけども、しばらくすると、そういうのにあこがれる人の集まりになってしまうので20年もすれば取るだけの人の集まりとなって、企業の中でも年配者が若い者を食いつぶしているようなことになりがちである。
アパレルの企業の若い方とお話しするときに一生懸命に企業のマイルールに縛られて話をされる。その構造自体、もうその若い人が自分で責任をもってその仕事をするとかいうのが難しい状況からのスタートとなる。若いうちに失敗など経験してそれを自分で取り戻すような苦労を経験しておかないと、しばらくすると外に解決を求めるばかりのできないタイプが出来上がる。子供に見捨てられないように外は敵ばかりで親である自分だけが味方だみたいに甘やかし、自分の言うことだけを聞くように手なずけてしまうような親もいたりするけど、そういう親というのは子供の人生にとっては害だろう。そういう子供は外の世界では無責任な行動ばかり。企業の中でもマイルールの多い会社というのは同じような要素を持っているものである。結局、そのマイルールが普通のスタート時点に立っていないのでどこまでがそれぞれの仕事なのかもはっきりせずにぎくしゃくする原因にもなる。