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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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リネン日記
夏らしさ
2020年08月02日
昨日からスカッとした夏の空、梅雨がようやく明けたという感じか。それとも、おととい久しぶりに台湾料理のお店で辛くてニンニクたっぷりのニラレバを食べてスタミナが付いたせいか?台湾料理にしてもあの辛さは辛いというよりも、痺れるような辛さで麻な感覚がある。

今日は軽やかに動ける感じ、太い糸でも切れることは切れるのでそれを縫って直すのは織る以上に時間もかかることもあったりでも、それをするのとしないのとでは大きく違う。布というのは縫う苧から来ているといわれる。私はたぶんそうだろうなあと思う。地機が腰機を指すとされるが、地機というのは元来は経糸を地面に張って、それを横糸で縫って布を作ったのが始まりだと思う。効率は悪いが誰もが思い浮かべることができ、一番簡単に布をつくれる方法。麻に縦糊を貼って一気に織ることも可能だ。中国なんかの村では麻を手で織るときに縦糸の糊付けはそんな感じ。アンギンなんかは上下方向に経糸を張るけど、地面と水平に糸を張る地機と似たような構造。

このカラッとした夏空は、麻を織るにはあまりよくない。湿度が低いから。細い番手の麻を織るのに適したのは雪に包まれた冬だと私自身は思う。今は雪が少なくなってどこで織ろうがそう変わらない。麻織物を織るというのは気温の下がる夜や、気温の低い冬場の仕事のイメージ。昔の出機さんが、織る場所は、太陽に向かって南に向いた玄関に近い出居の縁側が機場。冬場は、前栽の雪と面していて手もかじかんだだろう。

織物というのが自分たちの着るものをつくる手段だった。現金収入のない農村では着るものを買うということはせずに、家の中で織物が作られ裁縫されてが100年前までは当たり前だった日本。今は田舎でも普通に現金生活で、食べるものも着るものも居住にひつようなものもすべてお金がないと難しい。農村でも場所によるだろうけども、湖東地域の場合には、山側の地域は水利なども豊富でコメが確実にたくさん取れて豊かだった。

逆に琵琶湖に近いと農業用水の手配が難しく台風のたびに害で稲が全部倒れて水に漬かってしまうしまうとか、母親の実家が琵琶湖の近くだったからその生活は子供ながらに違いを感じた。農家でもあるけども、漁業的な生活をしていたのが琵琶湖の周辺で、食の恵みを琵琶湖や愛知川から受けていた。

琵琶湖の周辺では江戸時代には荒い織物が盛んに織られていたという記録を読んだことがある。蚊帳なんかもその一つだろう。今は平野が広がっている湖東地域だが江戸時代くらいまでさかのぼると。能登川あたりまで内湖として沼が広がっていた。安土なんて安土城の周りまでが琵琶湖だったんだから驚きそのものである。愛知川の土手の外は比較的住める場所ということで、愛知川の氾濫を抑えるために土手を盛り上げていってその土手の外側に人々が住んだ感じ。天井川である土手の裏側近くは土地が比較的高いので土手が決壊しても水には漬かりにくいという感じだろうか。母親の実家はそんな風な場所で、田んぼはもう少し低い場所にあるが、それが琵琶湖の水面と数メートル違いくらいに近い。江戸時代に愛知川がどこを流れていたのかは正確な記録にはたどり着いていないが、もっとぐねぐねと曲がりながら山から琵琶湖に向かっていたと思われる。

地元の緑に見えるような中を走っていても、埋め立てられた土の上を走っているんだなあと思うと、人の力というのは自然すらも変えてしまうので欲というものはほどほどにしておかないとダメだなあと思う。もうこれからは人も少なくなるのだし、いろんなものを有効活用しながら社会的な負担を軽減していくようにしないと、スクラップアンドビルト型や強制リサイクル型の経済優先型エコでは、結局自然は減っていく一方になろう。