for English speakers: Welcome to HayashiyoWelcome to Hayashiyo
リネンや麻を織る日々をつづっています。
ホームリネン日記今からでも
リネン日記
今からでも
2020年08月10日
私自身、いつも思うのが今動くか動かないか、今動かなければ将来も動かないだろうし、今動けばその経験は将来に生きてくる可能性は高い。動くといっても、他の人に動いてもらうと費用も掛かるし、それが毎回の事になるので、動くとなったときには、自分のできる範囲で自分が動くということにしている。自分が動ける範囲でやるので、できる規模なんかは限られてくるけども、こってりと経験できるし、やるもやらないも自分次第だと思う。

プロの人が趣味の人よりも上手かというとプロの人の場合には設備が整っていての部分が強みだろう。趣味の人というのは設備が整っていないのでいざやろうとすると苦戦することが多い。まあ、設備から手作りとかDIYでやっていくのが良いんだと思う。ゼロから、こってりと経験できるから。

昔と比べて、道具をつくるにもいろんなものがタダみたいな値段で手に入ることが多い。中古で使えそうなものを買ってそれを活用すればよいのである。新品を分解するとかはちょっと気合がいるだろうけども、中古でいくらでも手に入る分解してもよいくらいの値段のものを手に入れて、それを試してみるということが良いんじゃないかと思う。それでうまくいけば、それでモノづくりをして儲かるなら新品のちゃんとしたものを購入すればよいと思う。

プリントなんかでも、型紙彫ってやったものというのは、完璧な設備や機械でやるのとは違って、味があって悪くないと思う。まあ、絵を描くのとコピーするのとの違いで、手描きの絵に愛着を感じる人も多いだろう。林与のシャトル織機で織る織物にしても、洋服になったら耳の部分は使われることがすくないので、あんまり分からないかもしれないけども、シャトルで織ったものを欲しがってくださるマニアの方は多い。

私にとっては、シャトル織機も設備というよりも生地を作るための道具であるし、私の手や頭や体、足も道具といえば道具だと思う。普段右肩でビームを担いでいて、おとといたまたま左肩が気持ち悪かったので、刺激を与えようと、左肩でビームを担いでみた。左肩の筋肉はビームを担いだことがないのでウブなんだろう、担いだら痛くて痛くて、右肩とは大違い。ビームを担いだことのない人が初めてビームを担ぐときに感じる痛さ。

作業する時には必ず利き手を優先して使うようにしている。右手でやろうが左手でやろうが同じとは思わない。布の厚さを見るときにも、右側を右手で挟んで、左側も右手で挟んで厚さが大丈夫か確認する。多くの人が右側は右手、左側は左手で挟んで布の厚さをみようとするけど、同じ手で確認しないと違いなんて分からないだろうと思うのは私だけだろうか。

織物というのは、規格があるけど、規格には縦インチ何本、横インチ何本とか。横の打ち込みが同じだと同じ厚さに織れるのかというと、密度の高い織物だと経糸のテンションで打ち込み密度は変わってくる。テンションを強めれば打ち込み密度は上がる、テンションを下げれば打ち込み密度は下がる。ドロッパーの前に畔棒を入れるのは、糸のテンションを上げるためである。ドロッパーの後ろに畔棒を入れるのは、糸同士が回転して1本になって、ドロッパーに引っかかるのを防ぐためである。

麻織物の場合には糸が切れやすいのでドロッパーの後ろに畔棒を入れる必要はそれほどない。整経の時に、上の畔下の畔を取って整経しておくことが基本だとはおもう。切れにくい糸の場合には、糸が引っ張れても切れないので織れている織物の糸が1本細く吊れてしまうような現象が起きやすいので、ドロッパーの後ろにも畔棒を入れてあげるべきだろう。

富士吉田の前田源さんから聞いて謎がとけたのが、なぜ絹織機は後ろが長いのかという問題。ビームからソウコウまで2mほど後ろがながくとってある。それは昔はシルクはフシが多かったので、そのフシを織りながら取るためだということ。綿織機やスフ織機は、後ろが短いのはフシを取る必要がないからということ。今の時代には絹織機はフシを取る必要がないので別に後ろが長い必要はないということだろう。

織機は小さければ小さいほど手も届きやすくなり扱いやすくなるのだが、それをやるとビームに巻く経糸の長さが限られてくる話になるから、小さくできないんだろうなあと思う。織機というのはちょうど車1台分くらいの大きさがある。林与の工場の中には、30台くらいの織機があるから、車を30駐車できるような工場のスペース。

織機は床にアンカーボルトを打って固定するのだが、固定していないと振動で浮き上がって動いてしまう。織機の場所が自動車を駐車場で入れ替えるように自由に動かせたら織機の入れ替えも楽だろうなあと思うけども、なかなかそうはうまくはいかない話。