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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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リネン日記
長いものに巻かれると
2020年12月10日
海外に行くと長いものに巻かれたみたいなものづくりが多いのを感じる。特に欧米のものづくりが長いものに巻かれろになってしまっていて中国生地をヨーロッパ生地として売る商売。逆に中国のものづくりがコアなところから、百貨店にならぶ日本製生地の多くも中国生地であることも多い。日本国内で生き残っているのは長いものに巻かれないこと。長いものに巻かれた人というのはくたびれた話が多く、逆切れのケースが多くて、一般の最終消費者の気持ちに応えられていないことが多く、ギャップを感じることばかり。

だらしない感覚を蔓延させてしまっては、後戻りできないことがほとんどで、最後は海外でつくって国産みたいな偽装につながる話だが、昔から本当にそれが多いのが日本の繊維業界でそれをやればやるほど大手企業なのが残念な話。

林与の看板は実際に作業をするタイプの鉄板、織るだけでなく、糸、染、加工までも批判してしまうから嫌われるのも分かるけどもそれがないと。熱い気持ちの人がプロでないと案外家庭設備レベルのところの設備じゃなく人がフルに動いたモノづくりのほうが役に立つことも多い。

人がフルに動けるのか動けないのか、フルに動けないならフルに動ける人が評価されるのがモノづくりの世界で、私が仕事を始めた日に、すべて私のいうことをきいて伝統工芸士の勘一爺さんが私のために一生懸命に動いてくれたこと。もちろん高齢なので私が仕事のほとんどを用意してやってもらうだけど、仕事始めたばかりの27歳の私の思いを一生懸命に聞こうとして動いてくれて、ありがたいなあと思った。そういう人こそが覚悟を決めた人だけど、覚悟決めている私に逆らう人も多くて、私自身はそういう逆らう人の足りない仕事も補う覚悟、酒飲んで仕事みたいな先代すらもが私に逆らって最初の1日のアルバイトの感覚もないのが残念な話。それでお前は屑だみたいな説教垂れいて、彦根で近くの方の息子さんの結婚式があったときにも、電話があって何の悪気もなく精いっぱいに迎えにいったけど普通でも1時間かかるのを混雑に巻き込まれて1時間ちょっとでついて、ついた私に、お前何してたんだという話。自分が勝手に他の人も送る話作ってその人が遅いから先にタクシーで帰ったのをすごく残念に思っている面倒をみられるがわの馬鹿もの。

くでんくでんに酔った自分を立てるために自分の息子を犠牲にして生きるという屑の世界を仕事についた20代のときから見ていたから、ものづくりするものが消費者の期待に応えられない本質を忘れては経験が長くても業界も人間の屑ばかりになると思う。酒まみれの人間が消費者の心をつかめるのかというと、一番嫌う話で、そんなバカは早く仕事をやめてほしいだろう。だから、海外生産が主体のユニクロや無印の人のほうが健全で日本の繊維業界に役立つという当たり前のこと。酔いどれを救うために動いては恥でしかない。

酒に溺れ、株、土地、ゴルフ会員権でうぬぼれて、自分自身が一切の作業もきらってワシがするのかの、堕落した親を見て、なんとかそんな親でも成り立たせようと3日徹夜して限界超えてて、3日目の朝におじさんが来て3時間寝たら、母親があんたいつまでねてるのおじさん来てるわよの、クロネコに一つ荷物をもっていくももったいぶる仕事しない母親。

地場産業の末路そのものを林与の中に見ながらも、地場産業というものはもっとまともでないといけないと思う。業界でもそういう林与の先代とかそれになびいて実際にそんな親でも覚悟決めて親だからと支えようとしても難しいレベル。そんな仕事しなくなり上がった何億もの借金を自慢するカモな親を支える力こそが私の本当の力で20年以上やってきた。外の社会を知らない田舎の爺さん婆さんたちというのはほんとうにきついわと思う。

よくいわれるのが親の悪口をいうやつは許せんとか平気で言われるけど、今すぐに何億ふつうに被れるのそういう人ほど絶対に無理な話でそれを普通にやっている人間を、まだ見下して、説教垂れている田舎の年配社会だったりで、そういう人がいなくなってやっと普通のことを話せる世の中が生まれる。

林与の先代のようなものがいてはと思うのが、先代が一番にたよっていた京都の生地問屋さんも同じ末路で、先代が成り上がって大物経営者気分で、好き放題に広げて苦労も知らずに大盤振る舞いが成り立たなくなったときには、地道に働きもできない人間というだけのこと。偉くもなんともなく、その先人が築き上げたものを1代で失っただけでなく、次の世代が馬鹿にされながらすべて背負って地道にそういう先代たちの失敗を片付けるような話。手本となる先生がいないのが繊維の業界だが、私には自分のことよりも自分が支えることを当たり前にやってくれているような手本となる人が3人いてくれたのが、今の私の人生観や仕事感にもつながっている。何億の借金残してお前は将来ワシに感謝するという親もいるのが田舎の繊維の世界で、酔いどれの親というものはその程度も馬鹿も多いを分かって対応してゆかないと、良い時代に問題ばかり増やして、後始末を厳しい時代の次の世代が背負うだけの話。

私自身はそういうのが仕事始めた最初から見えているから嫌われ者だったかもしれないけど、だから仕事が出来たりもする。そういうのになびいて持ち上げていると、そういうのに染まってしまって、長年の経験者でもアルバイトの最初の1日くらいの仕事すらも難しくなる。勘一爺さんが先代を持ち上げてはいたが私が先代は奢ってしまって本当に駄目だよというと、その時点で私の言うことが正しいとまともに働こうとしている私を支えてくれた。それこそが本当に支えて働く姿だと思って、駄目な経営者の駄目を分かる職人がいてほしいし、自分が養われるでなく環境を支える気持ちで他の人を支えて働いてほしいと思う。自分が働いて他の人をささえるが基本だろうがそういう基本すらもなくなって偉そうなのが野党側にも雇われる側にも多すぎる。また、そういうだらしなく食いつぶすタイプが政治家や行政にもあふれかえっていて、そのしわ寄せを背負うこれから生まれてくる赤ちゃんたちが大変だったり。