2021年10月21日
今は、インターネットで世界中の情報が入ってくる。いろんな新しい知識を身に着けるには学校に行くよりもインターネットのほうが自主的でしかも偏らないものだったりする。それが単に知識の範囲で終わってしまうのが学校で、実社会ではインターネットで知識を得ながらそれを自分が実践してゆくというのが、実践的なやり方。
仕事なんかでもあやふやな知識や新しい分野の調べものがあるとインターネットで調べたりすることが多い、昔だったら図書館で本を探して調べるとかだったろうけども、その何百倍のスピードでいろんな情報にたどり着けるのがインターネット。
情報に関しても誰が発信しているのかなどを加味してそのバイアスを取り除きながら、情報の信ぴょう性を自分自身が判断してゆかないといけないけども、それはメディアの置かれている立場上の都合でのバイアスと同じ話。個人が情報を発信しているほうが生の情報で、そういうのがメディアを介することによってメディアによる編集や改変などが起きる。
日本はテレビチャンネルが8チャンネルくらいだけども、そのような制限をすることでコマーシャルなどで莫大な利益が上がる利益誘導的な構造。そういういびつな構造もインターネットの普及で浄化され始めてはいる。私はテレビは時間の無駄に思い、この25年ほどは、ほとんど見ないことにしている。
日本も子供のころは、なんか怪しいものが多かった。電化製品なども高かったから、怪しいメーカーが似たようなものを出してきたものである。NECのPC98なんかの互換機を出したセイコーエプソンなんかはNECから違法行為だと叩かれたが、当時2流メーカーだったセイコーエプソンはそんなことをやった。しかしながら、日本の市場はIBMPC互換機に移行し、NECもPC98路線をやめて、IBMPC互換機への移行。セイコーエプソンもプリンタに強い企業で、今は、プリンタインクに関しては互換インクを販売するメーカーを特許侵害だと訴えたりしているが、昔のことを思うと、自分たちが同じようなことやってその正当性を主張していたのになあと思う。日本の一流企業も主張に一貫性のないことは多いもので、APPLEなんかはIBMPCコンパチに移行せずに潔い姿勢で生き残った。結局、OSを牛耳れるかどうかが生き残りの肝なんだろう。マイクロソフトOSとAPPLEOSが、パソコンOSシェアのほとんどを占める。OSを独占することで、ルールメイカーなのがアメリカ企業なのである。アプリにしてもOSに対応ができなければ不具合だらけなので、OSメーカーから仕様やOSの不具合情報が得られなければとか、OSを改善してもらえなければ存在することもできない。
あと、カセットでっきなんかにしても、ダビングマシーンとして二つカセットのついているタイプは違法かどうかの論争などあったり、コンピュータのソフトウェアにはコピープロテクトがされていたり、そのコピープロテクトを解くソフトが売られていたりとか、いろいろとグレーなエリアがあったものである。小さなところがやると違法がが大きなところがやると問題ないみたいな風潮がある。
今は日本企業が優位な自動車や電気機械産業も、1960年から70年代には、アメリカの自動車を分解したり、コピー機を分解して模倣することで似たようなものを作って販売するのが日本企業の特色ではあったので、アメリカから特許違反などで叩かれていたのが当時の日本の一流企業。今は、最先端のものでも世界で一番安く作って大量生産して儲けるというのが、一流企業的な生産戦略だったりするものでちょっと状況は変わって来たように思う。国同士の対立は少なくなった。
私も田舎に住んでいるもののそれほど情報に困らないのはインターネットのおかげで、インターネットがなければ、仕事をしてゆく上でもいろんなことをやってゆくのは状況だったろうと思う。出張なんかも同じだけど、北海道に行く計画も、チケット、ホテル、レンタカーをネットで一番自分の計画にあったものを探す。それぞれ3つくらいのサイトの値段や条件などを比較して自分にあった計画を練る。旅行会社に行って組んでもらうよりもたぶん理想的なプランに仕上がる。
あと案外、繊維関係の仕事で織物の規格を決定するときとか原価計算をするときにはエクセルが役立つ。いわゆるホワットイフアナラシスというやつで、一か所の数値を変更するとその変更に合わせて他の数値もすべて再計算されるという機能。小学生のころに会社の事務所に初めて緑の液晶の計算機が入ったのだけども、あの世界にいるままなのか、エクセルの世界で計算するのかでは、シミュレーションできることが大幅に異なる。仕事で、計算をしない人がほとんどなのは、自分のする仕事を用意してもらっている部分が大きくなるのと、やっているときにも正しいかどうかすら確認しないで与えられたからやっているという形になってしまう。