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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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リネン日記
ピータン
2021年10月25日
スタッフの女の子が、大阪土産に生食パンと阪急のピータンを買ってきてくれた。生食パンはおいしくいただいたのだが、ピータンは卵1個の殻付きの個別梱包で、ピータンと書いていなかったら塩味の味卵だと思っていただろう。ピータンのラベルが付いていたので、ちょっと美食家っぽいイメージで、ノーマルを超えたそういうのは苦手だったりで様子見。

朝、あのパンおいしかったよとお礼をいうと、女の子が卵食べましたかと、いきなり。卵の話。これはチャレンジを求められているんだと感じて、あれはピータンだろうとその罠にははまらないよ、というが、それは大丈夫なピータンだというので、食べてみた。女の子が自分自身も食べるつもりで自分用にも買ったから大丈夫ですよと言われて、おっさんがせっかくの機会を逃げるわけにもいかい話で、白いゆで卵のような殻を割ると緑な世界、やっぱり。

その辺りで、食べると全身が中に見えて入っていても食べる覚悟はしているけど、殻を割って行っても透明な茶緑の卵型の球体。普通のゆで卵とかならなんの違和感もなく食べるのだけど、ピータンのイメージが頭の中にあるので、心配しながらいただいた、透明な卵白が緑な部分はちょっと不思議だったが下の卵黄の溶けたような部分はそれほど問題が無かった感じ。

人生というのは不思議で、林与のようなおっさんが逆に若い女の子にピータンを食べさせてみたいなのが普通かもしれないけど、それはネタじゃなく自分たちも同じで一緒に経験したく、自分のお金で他の人に振舞うようなところで、自腹切って仲間意識は連帯意識。みんな自分から新しい経験はなかなかできないもので誰かが旗振りやらないと。

郷に入らば郷に従え的な林与なんで、他の人にいろんなことに壁を越えてやってみたらと発破かけるも多く、刺激が欲しいくらいを他の人にも求めていたりするので、逆にそういうのを受けて、なかなか挑戦的でやるなあと思うし、そういうの分かる人が増えて行けば一番良いことだなあと思う。実は商売の本質がそこで、一緒にやるからには自分を捨てて外や中の他の人を支えるつもりで自分自身がオールインできるかできないかが仕事の本質。

自分がそういうのをやってきたけに、そういうのを覚悟してやろうとする人たちがいるのが人生観の共有みたいな部分。そういうのが和の精神だとは思うけど、和の精神やボランティアや、協調性を利用するばかりが、政治や行政やオーガニック、また、エシカルを謳う世界では多くなりすぎて、他の人に負担を求めている人ばかりでは難しい。自分自身が最底辺を担う覚悟していないと駄目じゃないのかと思う。

他の人を自分の労力や時間をとことん使って、成り立たせるように支える力って大事だと思うし、それがその人の実力何だろうと思う。今の時代には、若い人ほどそういう意識がある様な感がある。逆に偉そうに仕切ってる人たちが実際の最底辺を覚悟もせずに存在してもらっているとそういうところの改善の余地が一番大であろう。