for English speakers: Welcome to HayashiyoWelcome to Hayashiyo
リネンや麻を織る日々をつづっています。
ホームリネン日記あけましておめでとうございます。
リネン日記
あけましておめでとうございます。
2022年01月01日
元旦、雪の降り積もる元旦。昨日の大晦日は、友人が京都からお歳暮もってお客さんというか仕事の手伝いもしに来てくださった。たぶん、外が銀世界での工場の寒さには絶対に耐えられないだろうから、予備に買っておいた電熱ズボンを使ってもらうとやっぱりあったかくて良い感じということで、縦繋ぎなどの作業を手伝ってもらったりした。足の先が冷えるそうで靴下タイプの電熱タイプのほうが欲しいらしいがそれはもってないので手に入らないことはないが、今ないものは無理な話。

雪がすごすぎてホテルをキャンセルしてもらって工場の中で年越しで仕事かみたいなほどの雪。1時間ごとに5cmづつくらいは積もっていく、無茶苦茶時間かかってホテルまでお送りして、帰りのほうが無茶苦茶時間掛かって帰って来た。最後家まで300mほどは、車高以上に新雪が道に積もっていてその中を走るも、前に雪がどんどんと溜まっていき車が止まりそうに何度もなって家にはたどりつけないかと思った。

乗り捨てて歩いて家に帰ると自分の車で道をふさいだままになるので、もうどうしようもないときには積んでいるスコップを使ってタイヤの前の雪をどけながら少しづつ前に行くしかないだろうと思っていたけど、無理やりの無理やりに家にたどり着いた。家の前の駐車場の雪のほうが道の雪よりもひどすぎてすこし雪どけしてから、勢いつけて車を家の前の雪の中につっこんで停める。あの雪の深さからすると奇跡の帰還に思えた。集落の中では除雪車が雪をどけていてくれるが追い付いていない。

雪がすごすぎるんで、明日も手伝っていただく予定だったけど予定変更でホテルから京都に朝そのまま帰ってもらうほうが安全かという話もしていたが、朝の状況をみて判断。朝は道が凍るので、降ったばかりの雪以上に凸凹してて滑りやすく雪も硬く危険ではある。いわゆるアイスバーン。多賀大社初詣に行きたいと言っておられるが、多賀神社はもっと北で山側、たぶん初詣プラス雪で動けなくなって駐車すらも難しくすごい渋滞になっているだろうから初詣は明日はやめておいたほうがよい感じ。

ホテルは駅前の田舎には不似合いな巨大なビルのビジネスホテルで、私が予約した「訳あり部屋はお任せプラン」ということで、まあ、私も低階層とか線路側とか何だろうと思っていたら、なんと和室。ふとんということなんかなあ? ビジネスホテルに和室の部屋があるというのもびっくり。和室の部屋でもユニットバスがあるそうなんで、他にも大浴場もあるし、朝食も普通のビジネスホテルよりは素敵らしいから、お若い方なので経験のうちとしてお泊りいただくのによろしいんじゃないかと思った。年越しだったので、一人ひとつ、どん兵のきつねかたぬきのカップヌードルがもらえた。私が、たぬきのそばをもらって帰った。ビジネスホテルの駐車場も前に進むのが難しく方向転換すらもが難しい状況で、ホテルマンも駐車場には手つかずで、後輪にはチェーンをはめているだろうタクシーですらもかなりの苦戦で、私がスコップで雪解けして助けてあげようかと思った。

ふだん、工場のなかは台風とか豪雪を超えているような感覚で仕事しているのだが、今回の雪は仕事並みにかなりやばい状況。滋賀県の東北部と北部がかなりやばいが、子供のころは林与の織物工場に1m以上で、根元の幅30cmくらいの巨大つららが何本もぶら下がっていたようなのが本来の林与の工場の光景。中で強烈に暖房するから屋根の雪が解けて外が寒いので普通はみることもない1mを超える巨大つららがなん十本と屋根にぶら下がる。小学校低学年の林与がそれを壊さずに雪玉を根元向けて投げて落ちたところを手でキャッチして誰ももっていない宝物として大事にしていたのも冬の思い出で、1年に2本とか3本しかうまく取れなかった。自分の背丈位もあるつららを壊さずにゲットしたときには子供ながら、他の子供たちはこんな世界は知らないんだろうなあと一人悦にひたってたのを思い出す。工場も多くの社員の方たちが出入りはしていたけど、あのころはだれも危ないからやめなさいとかいう人もなく、小さな子供の遊びとしてみててくれてた感じ。

それにくらべると雪の中を車運転するくらいでやばいとか言ってるのは全然すごくない、子供のすごいと、大人の凄いのレベルの違いなんだろう。小学低学年の頃の自分が今の自分でもできないようなことを普通に情熱もって挑戦していたのが、命がけというかとことんというか、自分を限界まで持っていける若い人たちのスポーツとかガッツとかって、ああいうのって何なんだろうかと思う。子供のころというのは大人をこえたなにかがあって、大人になると俗化してそういう他愛のない情熱みたいなものを失ってゆくのだが、大人になってもそういう情熱のかけら持っているような人と接点持って取り組んでいきたいなあと思う。