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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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リネン日記
出来る人
2022年03月31日
一つの織物を織れる織れないは人の力みたいなところがあって、仕事で問題が多くてもそれが1回で終わればそれなりに次に進めるのだけども、もう一回やり直すことになったり、織れなくて目途が立たなくなったりすると、もうそれだけでにっちもさっちもいかなくなる。

この15年ほどで15人以上の新しい社員の人に織物を教えてきたけども、言われたことを正しくできる人とできない人との差は大きく、わざわざ言っているのはそこが大事で多分大事さに気が付かずに正しくやらないだろうなあと思うから何度も何度もわざわざいうけどやらない人は言った通りにはやらない。できる人というのは、最初の時からやることについてきて余裕があったりする、それは他の仕事で今までの経験で培った力だろうと言える。最初からできる人というのは吸収力があるので、どんな新しいことでも素直に真似して最初から役立ってくれ、その先の応用力まで持っていてくれる。

私も織物が織れないときには、絶対に織れると信じ込んで織機に調整を掛けたり、また、絶対にどこか間違っていると織っている生地を常に確認しているから問題は少ない。アメリカから帰って来て家の織物の仕事に就いたときに、一番初めにやったことが、他の人が5時に仕事が終わってから、織っている織物の経糸などの入れ違いなどを直すこと。多い日には10か所くらい筬の2本入りが、1本3本になっているとかを直したりしていた。

最初に仕事をした時点から、何十年の経験者の人の問題を理解して直してばかりだったので、今も織物を続けていられるのだろうと思う。出機さんに行ってもすべての織っている織物を縦糸の入れ違いなどがないかを確認して直すのが私の仕事の一つだった。本来は、仕事なんだから正しくしてゆくのが大事なのだけども、田舎商売というのは先代にしてもそうだけども、ややこしいことが多い。仕事そのものよりも人間関係のほうが勝ってしまうので、それは仕事としては末期症状。仕事の結果が駄目なのを認められないと駄目なのだけど、経験の長い人ほどそれが素直に受け入れられなかったりする。

人というのは考え方が入れ替わればよいのだけどもそれはなかなか難しく、成り立つ考え方、成り立つのがなかなか難しい考え方、まったく成り立たない考え方に沸けるとすると、なにも考えないで目の前のことを達成しようとしている人ほど成り立っている。必要だから他の人に聞かなくてもよいように自分がすべて理解して仕事をしようとしているかどうかの当たりなんだろうと思う。

織物って正しく織れないと仕事しても働いた何倍もの損が生まれてしまって、それを片付けるのが本当に大変な話。ある機屋さんが、若い子が社長織らないでください、社長が織ると問題ばかりです、みたいなのは本当に幸せなケースで。世代交代もうまく行っているケース。経験の浅い人に仕事を頼むと正しくできても、経験者に仕事を頼むと頼んだのと違った結果になっていたりも多い話で、経験者というのは我流が入りがちで我流が入るようになってしまうと柔軟性がなくなって、たとえば強烈なのが自分はこの作業だけしかしないみたいなタイプは繊維の業界からは消えたほうが日本の繊維業界のためにとってよいのかもしれない。

よく、問屋さんなんかが、仕上がった反物を自分が荷受けもできないで、直送でファックスを2か所3か所に送るような指示だけしてきたり、機屋の仕事がすべて止まって指図待ちとか、問屋機能が崩壊で、問屋や商社的な金融機能までも機屋が担っているとかが多かったりする。日本の繊維業界、商社や問屋さんがつぶれて機屋が被る話とか、商社機能や問屋機能がなかなか難しくなってしまって、そういうのが機能していない商社や問屋不要論につながる。

アパレルさんが間に、指定の商社や問屋さんを入れていただくのは迷惑だったりするのもそこ。商社や問屋さんの信用を確認しないといけないのが地道に働いている作り手側の機屋だったりして、自分の資金余力でリスクを覚悟という商社や問屋企業までも受け持たないといけない。日本のモノづくりのこだわりで謳っているブランドさんがある大手の生地商社さんとやるときにもその大手生地商社さんは2年3年発注してつくらせた生地を引き取らない。零細の機屋が大手生地商社の企画や金融機能を代わりに果たしているというのが現実のところで、アパレル通の人でもそういうのをまったくしらないから、アホな林与が偉そうに見たいなところで、大手が儲けているのを日本の繊維業界の理想に思っていたりするが浅すぎて、私が日本の繊維業界の第一人者の方々に織物の最初の日の基本の機結びから教えるのもその辺り。